芸術の伝承、香川で育った優美な漆芸。


香川の伝統工芸 漆器 蒟醤





 日本の代表的な工芸品に漆がある。漆は英語で「JAPAN」と訳され、日本の象徴的工芸として世界的に有名である。秋になると、漆の葉は赤く紅葉し、思わず足を止めてしまうほどの美しさである。 幼少の頃、「漆はかぶれるから絶対に触ったらだめよ」と教えられた。これまで、漆といえば、触れるとかぶれる危ない植物としてのイメージが私の中にあった。

 その漆を使った工芸のひとつとして、我が香川県の特産品でもある香川漆器がある。香川漆器は、高級な芸術品から実用品に至るまで種類の豊富さでは全国でも上位に位置しており、知名度は決して高くはないが漆器の一大産地と呼ばれる技術と生産量を誇示している。

 江戸時代(寛永15年)、水戸より松平頼重が高松藩の領土へと入ったことが漆芸が香川に土着するきっかけとなった。漆芸や彫刻技法は、お茶やお花を愛した松平家によって手厚い保護と奨励を受け、その結果、幾人もの名工、巨匠を生み出した。

 香川漆器には、昭和51年に国の伝統的工芸品産業振興法による産地指定を受けた「蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、彫漆(ちょうしつ)、象谷塗(ぞうこくぬり)、後藤塗(ごとうぬり)」といわれる5つの加飾(装飾)技法があり、とりわけ香川漆器の代表として取り上げられるのが「蒟醤」である。

 かつて、東南アジアでは嗜好品として、キンマと呼ばれるコショウ科の植物の葉を、檳榔子(びんろうじ)や石灰を一緒に噛んでいた。それらを入れた漆器が、現在の蒟醤塗の語源になったといわれている。東南アジアで生み出された蒟醤は、描かれる文様によって次第に芸術性を増し、やがて中国に伝来、美術漆器としての地位を確立させた。蒟醤の日本への伝来は、室町時代中頃である。茶道の名手であった千利休の時代には「キンマ手(きんまで)」と呼ばれ、茶道の場で舶来品の香箱として大変重宝された。

 室町時代に日本に伝来した蒟醤から、今日の香川漆器「蒟醤」の基盤を作り上げたのは、香川漆器の始祖と呼ばれる玉楮象谷(たまかじぞうこく)である。今から約200年前、讃岐・高松で生まれた象谷は、幼少より父のもとで鞘(さや)塗りを修業し、そのかたわら鎌倉彫風の木彫や、彫漆の研究をおこなった。
 20歳のときには、京都の地で塗師や彫刻師・絵師などとの交友を深めた。その際、すでに中国や東南アジアの漆芸技法として確立していた、色のついた彩漆で模様を描いた後、刀で線を彫り、その線内に金を埋め込む「存清(ぞんせい)」。色漆を数十回〜数百回と重ね、厚みを持った漆の層に刀で模様を刻む「彫漆(ちょうしつ)」。そして「蒟醤(きんま)」の技法を熱心に研究した。それらの技法と日本古来の漆芸技法を加味し、新しい漆芸分野(現在の蒟醤)を完成させたのである。
 彼の名は、香川漆器の加飾技法のひとつに用いられるほど多大なる影響を与えた。象谷が発展させた蒟醤の技法は、彼の死後、実の弟である藤川黒斎をはじめ、「後藤塗り」の創案者の後藤太平、人間国宝にも指名された磯井如真、音丸耕堂などに着実に継承されていった。

 象谷が形作った現在の蒟醤は、まず、指物(さしもの)、挽物(ひきもの)、籃胎(らんたい)と呼ばれる素地に布着せを施し、地固め、錆固めなどの後、漆を丹念に重ねてゆく。漆器の素地は、木胎(もくたい)と呼ばれる木を加工し、漆を重ねるものが一般的であるが、蒟醤の多くは籃胎といわれる竹を編んで作られる素地を主流とするのが特徴である。
 次に素地に何層にもわたり漆を重ね、乾燥させるという工程を繰り返す。漆器には、淡色を重ね、その濃淡を表現するものと、多色を重ねる技法がある。香川漆器は後者の技法を用いており、2色以上の漆を重ね塗りすることによって、色彩に富んだ模様を表現している。
 そして、幾重にも漆の層を重ねられた塗面にケンと呼ばれる独特の鋭利な刀で線彫りや点彫りの文様を施し、それによってできたくぼみに色漆を象嵌(ぞうがん)してゆく。それらを再び乾かし、炭研ぎで余分な漆を除去、表面を平らに研磨した後に、最後につやつけをおこなう。蒟醤をはじめとする漆器作りは作業工程がとても多いことで知られ、手間と熟練した技術を要する上に、数ミリ単位で施される技法は、古来より伝承されてきた技術を受け継ぎ、熟練した作家のみが成せる優美な技なのである。

 さらに、現在においても蒟醤の技術は進化し続けており、描かれる文様も時代を経るごとに多様化している。讃岐唐草と呼ばれる古典的な文様のほかに、現代の漆芸作家によってこき彫りや点彫りなど新たな文様も生み出され、立体的で複雑な表現を可能にし、より蒟醤の芸術性を増している。

 小さな頃から抱いてきた漆のイメージ、それは今、私たちを魅了する芸術を作り出す植物として私の中で変わろうとしている。
 
 つくづく、人間はいろんなものを使って芸術を作りあげてゆくのだな、と先人の発想に感嘆しながら、優美に表現された漆器をいつまでも眺め、時を忘れてしまうのである。
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