巡礼の旅、日常からの離脱。
生活とアートが共存する夢の島―直島


直島 地中美術館(外観) 撮影:藤塚光政





『此処ではない、何処かへ』

 そう言ったのは誰だったろう?島に渡った当日は、快晴。心地よい海風の吹く、島内散策には最適な日和だった。

 直島(なおしま)は、瀬戸内海に浮かぶ面積わずか8.13ku、人口3540人(2005年調べ)の小さな島だ。漁業を営む素朴な島生活を連想しがちだが、実際はそれに加えて、大正時代から続く銅の精錬に関連する大規模な工業地帯が一部あり、かつ、世界的に有名な現代アートの活動が展開している場なのである。

 島には現在、「地中美術館 (財)直島福武美術館財団」「ベネッセハウス」「家プロジェクト」という3つの鑑賞スポットがある。1992年、直島の自然と安藤忠雄設計の建築という場所の特性を取り込み、その場所のために制作した作品を展示する「ベネッセハウス」が開館。それを皮切りに、1998年からは古い家屋を改修し、作家が家の空間そのものを作品化した「家プロジェクト」が始動。やはり直島の自然を感じつつ制作が行われた、屋外展示作品群の設置。そして、その集大成として2004年7月に「地中美術館」が開館した。

 この3ポイントは、一箇所にあるのではなく、島内に点在している。従って、島にはポイントを巡るバスが走っているのだが、敢えて私は自力で島を巡る事にした。徒歩と自転車。島を知るにはこれが最も良いだろうと考えたのだ。

 小高い丘の上にある「地中美術館」は、その名の通り地中にあり、数年後には緑に覆われて外からは見えなくなってしまうという、その建物自体のコンセプトからして不思議な美術館である。所蔵作家は「クロード・モネ」、「ウォルター・デ・マリア」、「ジェームズ・タレル」。

 設置作品に関する説明や印象は、文字にしたところで意味を成さないと思われるので控えるが、それにしても不思議なのは所蔵作家の1人が「モネ」であるという事だ。モネは1926年、ジヴェルニーの自宅で86歳の生涯を終えた。展示されている作品はどれも彼の晩年のもので、1914年〜1926年に制作されている。他の作家が現存し、この美術館の為に作品を制作したというのに、だ。「現代アート」という範疇からも外れている。なぜ、ここに?

 地中美術館の前館長である秋元雄史氏によれば、なんとこのモネの睡蓮こそが『安藤忠雄、デ・マリア、タレルを結びつける契機となった』というのである。

 『光と水の戯れを捉えようとして対象を消失させていき、見ることとイメージの関係を極限までつきつめたモネの作品群は、今日の視覚優位でイメージが形成される時代において、世界認識の方法を考え直す出発点として位置づけられる。その問いからはじめて、近代に特有の世界認識の方法の可能性と限界を見極めてみたいというところから、このアートスペースの試みが構想された。「私たちが生きている時代とは何か。「自分」が世界の中にいて、世界と関係を結ぶとはどういうことか」を考えていくことが、地中美術館の根幹を成すコンセプトである。』。
 秋元氏の言葉を知ったのは島から戻ってであるが、自身の体験とのあまりの符合にとても驚いてしまった。

 実は直島に着き、島を巡りながら、私は膨大な量の疑問を抱え込んでしまっていた。
 なぜこの美術館は作られたのか?
 何を想って作られたのか?
 なぜここに在るのか?
 なぜ、「ここ」だったのか?
 そして私はなぜここにいるのか?

 湧き上がる疑問に戸惑いながら、まだ厳しさの残る日差しの下を、歩き、ペダルを漕いだ。巡礼の旅のようだな、と思った。偶然なのか必然なのか、直島の作品たちは「神」を連想させるものが多い。(ちなみにここで言う「神」はいわゆる世間一般で言うところのそれで、何かを特定するものでは無い。)作品名を見るだけで、そう感じる方も多いだろう。秋元氏の思惑への、余りにもストレートな乗せられっぷりが自分でも少々可笑しかったが、非常に意義ある旅だった事は間違いない。氏はさらに、『何かを測定し、見極めるためには尺度が必要であり、その尺度として「地中美術館の試みがある」』と言う。
 「自分が生きているという事」「世界(※外国という意味ではなく、自分が存在している「世界」)との距離」「どう生きていくか」。直島はこれらの様々な疑問と真摯に対峙し、深める事を可能にした、『ほかのどこにもない特別な場所』なのである。
テキスト「地中美術館」
 (財)直島福武美術館財団発行より一部抜粋

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