本:多くを教えてくれる

予想を裏切る結末に驚愕

「向日葵の咲かない夏」

道尾秀介



 “とにかくびっくりするくらい後味の悪い結末”という紹介文に興味を持って手にした1冊。
作者の道尾秀介は1975年東京生まれ。2004年、デビュー作の「背の眼」で第5回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞。第2作目にあたる「向日葵の咲かない夏」は、その内容から賛否両論を巻き起こし、文庫版が100万部を超えるベストセラーになった。
帯の“僕と妹・ミカが巻き込まれた、ひと夏の冒険。分類不能、説明不可、ネタバレ厳禁!超絶・不条理ミステリ”という謳い文句の通り、かなり残酷な描写やホラーに近い要素があり、読み進めると暗鬱とした気持ちになっていく。それと同時に物語の中に漂う不自然さ、曖昧さの正体が何なのか早く知りたくて物語に引きずり込まれていく。
 物語の主人公はミチオという小学4年生の男の子。
ミチオは3歳になる妹・ミカと両親の4人家族だ。夏休みの前日、欠席したクラスメイトのS君にプリントを渡すよう担任の岩村先生に頼まれたミチオはS君の家に向かう。最近この町では犬や猫を殺して足の骨を折り、口に石鹸を詰めるという不気味な事件が頻発していて、ミチオはS君の家に向かう途中の空き地で同様の手口で殺された猫の死体を発見してしまう。おびえながらS君の家に着いたが、呼び掛けても返事がない。
油蝉の鳴き声と「きい、きい」という嫌な音。
向日葵の咲く庭の正面にS君がいてこちらを睨んでいた。S君は首を吊っていたのだ。ミチオは慌てて学校に戻り、岩村先生にS君のことを報告する。その後自宅に戻り連絡を待っていると、岩村先生と警察がやって来て「本当に死体を見たのか?」と疑われる。なぜかS君の死体が消えていたのだ。しかし、ロープの痕や箪笥が動いた跡などから何かがあったことは証明された。
そして一週間後。
死んだS君が“あるもの”に姿を変えてミチオの前に現れる。S君は「僕は岩村先生に殺された」「僕の体を見つけてほしい」と訴える。信じられないことに戸惑うミチオだったが、S君の望みをかなえるため、妹のミカと共に真相を探り始める。
一方、S君の近所に住む老人・古瀬泰造は、S君が行方不明になっていることに心を痛めていた。泰造はサラリーマン時代に読んだ一冊の小説を思い出す。それは異常な性癖を持つ主人公が少年を殺害し、その遺体を凌辱するという内容だった。図書館でその『性愛への審判』という本を探し出した泰造は、それが地域の作家コーナーに並べられていることに気付き、この本の作者は犯人と何か関係があるのではと考える。
学校で集会があった日、ミチオはミカとS君と一緒に岩村先生を家まで尾行し、先生が出掛けた隙に部屋の中へ侵入する。ミチオはそこでS君と岩村先生の秘密を知ってしまう。その後、ミチオは古瀬泰造と出会い“性愛の審判 六村かおる”というメモを受け取る。
予想通り『性愛への審判』の作者は岩村先生だった。しかし、警察に報告する前に先生に見つかり「余計なことを話そうなんて二度と考えるな」と脅される。
これ以上事件に関わるのは危険だと思っていた矢先、半分ミイラ化したS君の死体がS君の家の庭で発見される。はたして一連の事件に関連はあるのか?そして犯人の目的は何なのか?
 物語の前半は、とにかく謎だらけでハラハラドキドキする展開が続く。
それが後半に入ると状況がカオスになり、意表を突く衝撃的な事実も明らかになって一気に邪悪なモノが浮き彫りになっていく。そして問題のラスト。う~ん、なるほど…そういうことか…という、確かにすっきりしないことこの上ない終わり方をする。賛否両論が恐ろしく分かれていて嫌悪する人も多いというのは良く分かった。
確かに読んだ後は“これってありなの?”とモヤモヤした気持ちが残るが、最後まで一気に読んでしまうだけの魅力がある物語であることは間違いない。登場人物に不自然さを感じながら読み進め、その不自然さの理由が明らかになるにつれて途中で読むのをやめられなくなる。そして、最後の十数ページで一気に謎が解けた時、物語の風景はガラリと一変する。筋書きと結末に驚嘆させられるのに、ここまで後味が悪いミステリというのも珍しい。
また、この作品は巧妙な伏線・ギミック・トリックが満載だ。刑事以外に嘘を吐かなかった登場人物は居ないことからも、この作品がいかにミスリードを誘っているかが分かる。
全ての謎が解けた上でもう一度読み返すと、登場人物それぞれの抱える闇が深すぎて、まるでサイコ・サスペンスのようでもある。個人的にはミチオが成長してからの続編も読んでみたい気がするけれど。
「僕だけじゃない。誰だって、自分の物語の中にいるじゃないか。自分だけの物語の中に。その物語はいつだって、何かを隠そうとしてるし、何かを忘れようとしているじゃないか」というミチオの言葉通り、登場人物たちはみな自分を騙し、嘘を貫き通そうとしている。
 そもそも人間という生き物は自分の“世界”で“物語”を作って生きている。どんなにメディアやネットを駆使して世界と繋がっているつもりでいても、自分が認識できる範囲の“世界”で生きているだけだ。同じ出来事でも人によってとらえ方、語り方が変わるのと同じように、この世界も非常に曖昧なものでしかない。この作品はそれを突き詰めた作品であるとも言えるだろう。
作者の道尾氏は「一から十まですんなりと同感できた小説というのは“読んでも意味がなかった小説”と同義だ」という信念を持っているというが、そういう意味では良くも悪くも余韻を引きずってしまう作品である。この作品は作者のミスリードに引っかかるまいと意識せず、思いっきり騙された方がミステリを読む醍醐味を味わえるかもしれない。
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