本:多くを教えてくれる

世界中を旅した椎名誠の死生観

「ぼくがいま、死について思うこと」

椎名誠



 世界の秘境を旅したり、気の合う仲間たちとアウトドアライフを満喫する椎名誠は憧れの存在だった。椎名誠の著作は全て読み漁り、映画の舞台挨拶も見に行った。彼に影響されて四万十川で焚き火をしたりもした。そんな椎名誠が「死」をテーマにした本を出していると知り、彼の周辺でどんな変化があったのか、どうしてそんな本を書く心境になったのかを知りたくなって久々に椎名本を読んだ。
 内容は深刻なものではなく、いつもの椎名節だったのでまずはひと安心。
本書では肉親の死や親しい友人との別れ、世界中を旅して出会った多種多様な埋葬方法、あやうく死にかけた体験、十代の頃に経験した親友の自死などについて語られている。
チベットの鳥葬をはじめ、モンゴルの風葬、インドやネパールの水葬など、世界各国の埋葬方法を読んで思ったのは、その人が属する国や宗教、死語の世界観、自然環境によって「死」の捉え方も大きく違っているということだ。同じ埋葬でも文化が違えば意味合いも違う。共通しているのは「弔う」という行為は、遺された者がその死を受け入れ、いい形で心におさめるために必要な儀式であるということだ。
 また、世界各国の埋葬方法を読んでいると、日本の葬儀の在り方について考えもさせられる。
アメリカ約44万円、イギリス12万円、ドイツ20万円、韓国39万円、そして日本が230万円。これが、何の値段か分かるだろうか?答えは、葬儀費用だそうだ。
日本では斎場での葬儀が一般的になっているが、その斎場の過剰な演出や葬儀社の巧みな営業、遺族の見栄などについて椎名誠は疑問を述べている。
例えばイギリスの一般的な葬儀では、親族を中心に本当に故人と親しかった人だけが集まり、日本でいう通夜および告別式が行われる。日本のように香典を持って急いで通夜と告別式にかけつける、ということはないらしい。
フランスの葬儀は「福祉の一環」と考えられていて、式場はもちろん納棺の費用も一定に統一されているため、葬祭業者が我さきにかけつける、という光景は見られない。お墓のスペースも平等で、金持ちも有名人も庶民もみな同じだという。
日本では「終活」という言葉が流行して、お年寄りが楽しそうに葬儀場を見学したり棺桶に入ったりしているのをテレビで見たことがあるが、私は激しく違和感を覚えた。もちろん、どんな風に送られたいか、生前から意思表明をするのは自由だし、家族もその方が「故人の希望通りに送ることが出来た」という安心感があるだろう。ただ、私は非常に軽薄なノリで「死」を扱っている人たちに違和感を覚えたのだ。いくら「死」を怖れる必要はないと言っても、やはりそこには厳粛な気持ちが必要ではないだろうか。
 また、別の意味で恐かったのは、チベットでも最近はスーパーがたくさん進出し、いわゆるジャンクフードなどが一般化してきているそうだが、そういったものを食べ続けた人間の遺体を、自然界にないケミカルな味や臭いに敏感なハゲタカが食べなくなっているという話だ。自然界の獣が食べようとしない人間の遺体…これには大いに考えさせられる所があった。
 人は生まれた以上必ず死ぬ。それは、草花が芽を出し花を咲かせ、実を結び、やがて枯れていくのと同じ自然の摂理である。死から逃れることのできる生き物はいない。
それなのに、なぜ人は「死」というものを特別視するのだろうか。それは“いつか必ずやってくるにもかかわらず、その時期も死に方も自分で選択することができない”という未知の感覚のせいかもしれない。
 本書の最後の方に椎名誠が友人たちに「どんなふうに死にたいか。死のプラン。」というアンケートを取った結果が紹介されているのだが、その問いに中沢正夫という精神科の医師が“癌で死にたい。疼痛コントロール(意識低下の少ない)が可能なので、あっちこっち不義理をしているところに仁義をきってから死ねる。しかし自死以外、死の選択権がない!という現実がある以上、あらかじめの計画は無駄。「それがきたとき考える」ようにしている。” と答えている。
この回答には、とても共感できた。
椎名誠自身はインタビューで「ぼくはけっこう死後の世界を信じている。なぜなら死後、何もなくなったら計算が合わない。この世に誕生させる力があって肉体が登場したわけだから、肉体が消滅してもその『力』はどこかに残るはず。死んだことがないので、それが地下なのか天空にあるのかわからないけれど、思念の世界だろうと踏んでいる。死ぬことは全然怖くない。逆にパスポートをもらって新しい世界に行けるわけだからちょっと楽しみかな。向うの世界はどれくらい発展しているんだろう。きっと元の世界にその様子を知らせたいと思うでしょうね。」と答えており、非常に彼らしいな、と思った。
 常々感じていることだが、人生は嬉しい事よりもしんどい事の方が圧倒的に多い。死ねば現世の悩みや苦しみから解放されて楽になれるのかもしれない。しかし、“死ぬその瞬間”までが“生”なのだから、死というものを最後まで直視して初めて“生を全うした”と言えるのだろう。
できれば恨みや未練を残さず、あまり苦しまず、ボケて周りに迷惑をかけたりせず、自分できちんと身辺整理を済ませてこの世を去ることが出来れば上等だが、それは多分ほとんどの人が望む死に方だろう。いつどんな風に死ぬかは誰にも分からない。死後の世界も生まれ変わりも死んでみないと分からない。全てが未知すぎて楽しみだと思うことは難しいが、かといって怖れることもないのだろう。“その日”は必ずやって来る。そう覚悟を決めておけば、いざという時を静かな気持ちで迎えられるのではないだろうか。
自分自身、そして親しい人の「死」について考えるきっかけになる1冊だった。
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