本:多くを教えてくれる

日本人の本質を武士道という美学で解き明かした名著

「 BUSHIDO The Soul of Japan (武士道)」    新渡戸稲造
(1868〜1912)



新渡戸稲造(1868〜1912) 新渡戸稲造とはどんな人物であったのか。 詳しく知っている人は意外と少ないだろう。旧5000円札に描かれていたメガネの人、という程度の認識が一般的なところではないだろうか。 新渡戸稲造は1862年、現在の岩手県盛岡市で南部藩士、新渡戸十次郎の三男として誕生。幼少期は武家の子として教育を受ける。1877年、札幌農学校に入学しキリスト教に入信する。 1817年、東京帝大在学半ばにしてアメリカのアレゲニー大学、ジョン・ホプキンス大学へ私費で留学。その後は農政学の研究のためにドイツに留学する。 国際連盟の事務次長、知的協力国際委員会(現ユネスコ)の世話役なども歴任し、国際社会・世界平和のために尽力した。その他にも、札幌の豊平の貧困地帯につくった夜学校は日本の勤労者教育として大きな足跡を残し、東京女子大学の初代の学長として女子教育にも尽力するなど、多方面で活躍した人物である。

「武士道」は1898年、新渡戸稲造が37歳の時に書いたもので、原文は英語である。本書は初めて諸外国に向けて日本人の倫理観を示した名著とされ、本書に感激した当時のアメリカ大統領、セオドア・ルーズベルトが日露戦争における講和条約の仲介に入った話は有名である。 「武士道」は外国人に向けて書かれているので、日本の著名人だけでなく、西洋の作家や歴史上の人物、文学作品、新約聖書、コーランなどが多数引用されている。これだけの知識を当時37歳の新渡戸稲造が持っており、更に流麗な英文で書き上げたという事実には驚かされる。

『武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である』と述べた新渡戸稲造は、いかにして武士道が日本の精神的土壌に浸透していたかを説明した。 新渡戸が海外向けにこの本を執筆した動機については、序文で簡潔に述べられている。 ある時、ベルギーの法学者ラブレーに「日本に宗教教育がないのはとうてい理解できない。そんなことで、日本人はいったいどのように子孫に道徳を伝えていけるのか」と問われ、即座に答えることができなかった。彼はその後もずっと思索を重ね、この問いの答えが武士道であるとの結論に達したのである。 また、日清戦争で初めて海外に名を馳せた日本の真実の姿がほとんど知られていないか、もしくは全く誤解されていたことも理由の一つだった。 日本人の精神的支柱を“自己責任”“他者への配慮”“義務の遂行”という面で捉えた「武士道」は世界的ベストセラーとなった。 「武士道」によって新渡戸稲造の名は一気に高まり、その後は教育者、知識人として多くの高校、大学で校長や教授を務めた。また、これらの業績や国際的な知名度を買われ、58歳の時には設立されたばかりの国際連盟の事務次長にもなった。退任後は代議士などを務め、日本の国際的な地位向上や問題解決に力を尽くした。 しかし1932年、軍国主義思想が高まる中「わが国を滅ぼすものは共産党と軍閥である。そのどちらが怖いかと問われたら、今では軍閥と答えねばならない」という発言が新聞に取り上げられ、軍部や右翼、在郷軍人会や軍部に迎合していたマスメディアから激しい非難を買ってしまう。そんな中でも新渡戸は軍国主義に傾こうとする日本の国際的孤立を憂慮して、全米で1ヶ月に100回にわたる講演を続けている。 1933年、日本が国際連盟脱退を表明。同年8月、新渡戸はカナダで行われる第五回太平洋会議に出席し、日本代表として演説を成功させるが、その1ヶ月後病に倒れ、昭和8年10月15日、カナダのビクトリアで 71歳の生涯を閉じた。日本が国際連盟を脱退してからわずか半年後のことであった。 彼は「橋は決して一人では架けられない。何世代にも受け継がれてはじめて架けられる」と言って、後世に希望を託した。これほどの功績を残した人物が日本であまり知られていないのは本当に残念だと思う。

武士道などという時代錯誤な価値観は平和な現代に必要ない、封建時代の悪習だと思う人も居るかもしれない。しかし、武士道が日本の歴史と伝統を築いてきたことは事実だ。それは単に武士だけのものではなく、日本人全体の生き方、死に方を導いてきたものである。
新渡戸は騎士道とは似て非なる道徳概念として武士道があって、それは
「義」卑怯や不正を憎む心性
「勇」正しいことのために行為をなすこと
「仁」弱者、劣者、敗者に対する思いやり
「礼」他人の気持ちを思いやり敬意をはらうこと
「信」嘘やごまかしをしない心構え
「名誉」人格と威厳についての自覚
「智」単なる知識ではない智慧
「忠」目上の者に対する服従と忠実
といった体系を持ち、これらは単独で存在するのではなく、繋がりあい道徳観を形成している。そして、これは武士だけでなく、日本人全員が持つ誇り高き価値観だと主張している。

「葉隠(はがくれ)」にある“武士道といふは死ぬ事と見付けたり”という有名な句からも分かるように、武士たちは常に死を意識し、そこに美を見出した。生に執着することがなければ、死を恐れることもなく武士の本分を全うすることができ、公儀のために私を滅して志を抱けた。“武士道といふは…”の一句は、武士道=死が美徳という単純な意味ではないのだ。“武”の字は戈(ほこ)を止めると書く。戦いを止める事こそ武の意味だと昔から説かれてきたという。本書の中にも、侍がいかに刀を抜かないようにしていたか書かれているが、武士は決して武力のみで打ち勝つ事に価値を見出してはいなかった。 また、「知識は人の品格の中に表れて初めて意味がある」と新渡戸が書いているように、どんなに豊富な知識を持っていても、それが行動に結びつかなければ何の意味もないと考えられていた。

「武士道」の最後で新渡戸は “たしかに、武士道は独立した道徳体系の掟としては消え去るであろう。だが、その力はこの地上から滅び去るとは思えない。サムライの勇気や民族の名誉の学院は破壊されるかもしれないが、その光と栄光はその廃墟を超えて生きながらえるであろう。あの象徴たる桜の花のように、四方の風に拭き散らされた後でも、その香りで人類を祝福し、人生を豊かにしてくれるであろう、何世代かの後に、武士道の習慣や志が葬り去られ、その名前が忘れ去られたとしても、「路傍に立ちて彼方を眺むれば」、その香りは遠く離れた、どこか見えない山の彼方から、一陣の風によって運ばれてくることだろう”と結んでいる。 いつの時代も桜が日本人の琴線に触れるように、私たちの精神の奥深くには今も武士道の片鱗が息づいている。忍耐や秩序、“恥を知る”という日本人特有の価値観もそのひとつだ。 しかし現代の日本は、“恥を知る”という品性・公徳心を失った人が多すぎる気がしてならない。 私たちは近代化、欧米化の波の中で何を失い、何を受け継いできたのか。今の私たちに欠けているものは何なのか。「武士道」は日本人ならではの美徳を考え直すきっかけを与えてくれる良書である。
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