本:多くを教えてくれる

天涯の孤児が描いた稀有な世界観

泥棒日記」 ジャン・ジュネ
(1910~1986)





「泥棒日記」はジュネの自伝的集大成ともいうべき作品である。
ジュネが生まれたのは公共施療院で、売春婦であった母は生後30週目のジュネを児童養護施設の遺棄窓口に連れて行った。そしてフランスの田舎に里子に出された。ジュネが母親の名前と自らの出身地を知ったのは21歳になってからだったという。
預けられた職人の家では教育を受け、優秀な成績を残すものの、13歳の時には養父母の元を離れて職業訓練校に入学。そして10日で脱走する。
その後、男娼、泥棒、その他の犯罪で生計を立てながら、ヨーロッパ(スペイン、イタリア、ユーゴスラヴィア、チェコ、ポーランド、ドイツ)を放浪するが、第2次大戦勃発と同時に逮捕され、獄中生活を送る。それを機に戯曲を読み漁り、創作を開始。1944年に第1作「花のノートルダム」を発表。サルトルやコクトーに認められ、世間からも高い評価を得る。
ジュネは「泥棒日記」の執筆中に10回の有罪を宣告され、終身禁固を求刑された。この時もサルトルらが減刑を求めて立ち上がり、その運動はあっという間に話題となってフランス大統領の特赦を受ける。そして、恩赦による釈放と社会的・経済的な成功を手に入れるという見事な立場の逆転を果たした。
しかし、サルトルが執筆した「聖ジュネ」は、彼を精神的に追い詰めた。当時ジュネは、42歳でパリの教養人の半分には無名の存在であり、残り半分からは文学の問題児とみなされていた。作品で自分を裸にしたように見せかけながら、自分が創作した“ジュネ像”の仮面を被っていたジュネは、富や名声、次回作に対する世間の期待などによって虚脱状態に陥る。そして、釈放後に彼が取った行動は自殺未遂だった。

数年間の沈黙ののち、劇作家として復活したジュネは3つの長編戯曲を書き上げる。1968年以降は政治運動に深く関わった。そのひとつがアメリカの黒人解放運動ブラック・パンサーであり、もうひとつがパレスチナ解放運動だった。政治の世界に関わるようになってから、ジュネは文学的名声や地位には関心がなかったようである。それよりも、虐げられ、差別される存在である黒人やパレスチナ人に対する関心の方が強かったのだろう。 1979年、ジュネは喉頭癌に侵され病魔が身体を蝕んでいく。それでもパレスチナ解放運動を支援しながら、パリ、ヨルダン、モロッコなど各地を転々としつつ、遺著となる「恋する虜」の執筆を続けた。
数時間前まで「恋する虜」の原稿に手を加えていたらしいジュネは1986年4月16日、パリのホテルの一室で死去した。享年76歳。出来上がった原稿の冒頭にはこう記されてあった。
「言葉のありとあらゆるイマージュをかくまってこれを使うこと、なぜならこれらのイマージュは砂漠にあり、そこに探しに行かねばならないから。」
彼の遺体はかねてからの希望通りモロッコのララシュに送られ、静かに埋葬された。

ジュネの感性を集結したとも言える「泥棒日記」は日本でも紹介され、石川淳、三島由紀夫、坂口安吾といった面々に激賞された。
「泥棒日記」の内容については、本人が“男色”“泥棒”“裏切り”の3つがテーマであると語っている。
異性との愛の代わりに同性との愛を、労働の代わりに犯罪を、そして信頼の代わりに裏切りを。ジュネは汚濁のまみれた悪の中にこそ聖性があると主張し、自らがその聖性を持つ存在であることを求めている。それが彼にとっての“美学”なのだ。彼は少年期から世界が善と悪の世界の二つに分かれており、自らの住処は悪の世界以外ないことに気づいていた。誰にも愛されず、どこにも行き場のなかった少年にとって、この二元論はごく自然な論理だったのかもしれない。彼は物語の中で自らの住む悪の世界を聖化させ、その世界に於いて己の特異性を更に引き立たせることにより、存在を確立しようとしたのかもしれない。
『泥棒について書いた本ではなく、泥棒でしかいられない、泥棒自身が書いた本』解説にはそんなふうに書かれている。

人を信頼したり、慈しみ大切にするという精神的な成長を遂げないまま大人になったジュネ。彼は自分の醜悪さ、弱さ、汚さ、というネガティブな要素を冷徹に観察し、それを徹底的に暴露した。彼の世界は孤独である。どこまで行っても孤独だ。ジュネの言う“あなた方の世界”から弾き出され、底辺で暮らすジュネや仲間たち。彼らに共通点しているのはこの孤独なのである。

ジュネが自らの創作活動について触れた一文がある。
『わたしの出発点は、この、倫理的完全に最も近い状態を指す、聖性という言葉それ自身なのである。それについては、わたしは、ただそれが得られなければわたしの生涯が空しいだろうという以外、何も知らないのである(中略)すなわち、わたしのあらゆる行為がわたしの知らないこの聖性なるものに向かってわたしを連れてゆくようにしたい、と。わたしは、各瞬間ごとに聖性への意志がわたしを導くことを願うのだ。』
『人がある数学的規律に従うことによって聖性を獲得する、ということはありうることではある、が、わたしはその場合人が獲得するのは、容易な、礼節にかなった、試験済みの形体を備えた聖性、ひと言で言えば、アカデミックな聖性ではないかとおそれる。それならば、それは見せかけを獲得することにすぎない。』

ジュネの生い立ちは確かに不幸である。しかし、彼は自分を不幸だと思った事は1度もないだろう。類い稀なる文学的才能を持ち、世間一般の価値観や規範に囚われることなく自由に生きたジュネ。
人の輪を乱すような行動をしてはいけない、個性よりも協調性が大切、そんな価値観にうんざりしている人におススメの1冊である。


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