本:多くを教えてくれる

ミステリーの醍醐味を味わえる1冊

「 アヒルと鴨のコインロッカー」    伊坂幸太郎
(1971~)



 『引っ越してきたアパートで、最初に出会ったのは黒猫、次が悪魔めいた長身の美青年。初対面だというのに、彼はいきなり「一緒に本屋を襲わないか」と持ち掛けてきた。彼の標的は―たった一冊の広辞苑。』 帯には『神様を閉じ込めに行かないか?』のキャッチコピー。この紹介文とタイトルに惹かれて手に取った1冊。

物語は主人公・椎名がモデルガンを持って小さな書店の裏口に立っているシーンで始まる。 椎名は引っ越し先のアパートの隣人・河崎に「本屋を襲って広辞苑を盗まないか」と誘われる。断りきれなかった椎名は本屋を襲う手伝いをするはめに。とはいえ彼の役割は、河崎が本屋を襲撃している間、裏口のドアを蹴って威嚇するだけだった。 その後、どうにも罪悪感がぬぐえないでいた椎名の身の周りで、近所に住み着いている黒猫“シッポサキマルマリ”のシッポにくじがくくりつけられたり、大学で買ったはずのテキストがきれいさっぱり消失したりといった出来事が次々に起こる。それもこれも謎の隣人、河崎と出会ったことが原因のように思える。かくして椎名は、この謎の隣人の存在に興味を抱き始める。

一方で2年前の物語が琴美という人物の視点で描かれる。 琴美は女たらしの河崎が以前1ヵ月だけ付き合っていた相手で、ドルジという恋人がいる。ドルジは見た目は完全に日本人なのだが、ブータンからの留学生で、二人はカタコトの日本語と流暢な英語を駆使して会話をしていた。ペット殺しが頻発している中、琴美はペットショップの犬“クロシバ”が行方不明になった事に不安を覚え、ドルジと一緒に探し回っていた。その道中、車に轢かれてしまった猫を見つけ、埋葬する場所を探すのだが…。

椎名のさえない日常と、琴美の緊迫した生活、全く関係なさそうな2つの物語が同時に進行していく。 なぜ河崎は広辞苑を盗んだのか?現在の話にドルジと思われる外国人は登場するが、琴美は出てこない。2年前に一体何が起こったのか?早く先が知りたくて一気に読ませる巧みな展開である。

現在と過去という2つのストーリーが章ごとに繰り返され、少しずつ、しかし確実に物語は展開していく。 このタイミングも絶妙だ。さらに、物語の鍵となる出来事やキーワードが至る所に散りばめられているのだが、文章はとても読みやすく、それぞれの話が印象的にまとめられている。2つの物語は相互に少しずつ関連はしているものの、最後になるまでどうリンクするのか読めない。読めないから、早くオチが知りたいという焦りにも似た感覚を抱えながら物語を読み進めていくことになる。 紹介文には本屋を襲うことがメインテーマのように書かれているが、実はそれは単なる通過点に過ぎない。河崎にとって本屋を襲うという行為は、広辞苑を奪うよりもっと重要な意味があったのだ。それは物語を読み進めていくうちに明らかになっていく。 そして、この2つの物語がリンクした時、パズルのピースがカチッとはまるように全てがクリアになる。

「アヒルと鴨のコインロッカー」というタイトルも秀逸で、このタイトルに物語の全てが凝縮されていると言ってもいいだろう。そして、伊坂氏の軽妙な文体とウィットに富んだ文章や、そこに潜む意味深な言葉たちも素晴らしい。少しでも油断すると意味が分からなくなりそうな伏線を、登場人物の個性やストーリーの展開によって繋ぎとめ、最後には見事に回収している。 たとえば、なんとなく意味ありげな「裏口から悲劇は起きるんだ」「神様を閉じ込めるんだ」「人というものは、慎重にことを運ぶべき時に限って、行動を急いでしまうのかもしれない」というセリフ。これらも全て伏線になっている。再読して初めて気づかされる場面も多く、構成の緻密さに感心させられる。

もうひとつ、本作の面白いところは、主人公の位置づけだ。作中に「彼ら三人には三人の物語があって、その終わりに君が巻き込まれた」という言葉があるように、主人公であるはずの椎名は、完全に脇役なのだ。主人公が事件に巻き込まれてしまう物語や、脇役が語り手になるというのはよくあるパターンだが、椎名の場合、事件そのものに全く関係していない。しかし、椎名の存在がなければ、この物語は完成しない。そこが大きなポイントでもある。 各キャラクターの設定も上手く、メインとなる4人は、それぞれ不幸を背負っている。しかし、彼らはそれを不幸と捉えず淡々と今を生きている。この淡々とした、でも決して温かみがない訳ではない個性的な人物像も、この作品の特徴だと言える。また、動物園でレッサーパンダを盗み出す姉弟など、サイドストーリーも印象的だ。 コインロッカーが登場するシーンは本作でも一番のクライマックス。コインロッカーがどこに登場するかは、読んでからのお楽しみということで明かさずにおくが、キャッチコピーの「神様を閉じ込めに行かないか?」がまさにそのシーンである。

伊坂氏は、作中に登場するブータンは「架空のものだと思っていただけると幸い」と述べていたそうだが、架空だとしても、ブータンの思想や死生観、宗教が本作のカラーになっていることは間違いないだろう。 人の死やペット殺しなどの残酷な描写は読むのがつらいが、そうした重いテーマを扱っているにもかかわらず、読後感にせつない爽やかさを感じさせるあたり、現代ミステリー界を代表する作家であることは間違いない。 本作が第25回吉川英治文学新人賞受賞をはじめ、「このミステリーがすごい! 2005年版」国内編第2位、2004年(第1回)本屋大賞第3位など、各方面で話題になったというのも頷ける。 ちなみにこの作品は2006年、原作の舞台である仙台でオールロケが行われ映画化しているので、本作を読んで興味を持った人はそちらも併せて鑑賞してみてはいかがだろうか。
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