幻想的な乱歩ワールドを堪能できる名作

「屋根裏の散歩者」 江戸川乱歩
(1894年〜1965年)







江戸川乱歩を初めて読んだのは、少年探偵団シリーズだったという人も多いのではないだろうか。怪人二十面相と名探偵明智小五郎、少年探偵団の対決に感化されて、探偵団ごっこをしたり、怪しそうに見える大人を尾行してみたり…。当時の少年探偵団シリーズは、日本中に挙動不審の小学生を数多く生み出していたと思われる。
しかし、当然であるが江戸川乱歩の魅力は少年探偵団シリーズだけではない。「人間椅子」、「陰獣」、「芋虫」、「孤島の鬼」、「白髪鬼」、「黒蜥蜴」などなど、名だたる作品を挙げるときりがない。日本の近代ミステリ小説の第一人者である江戸川乱歩の作品は、発表から長い時を経た今日でも、ミステリの醍醐味を存分に楽しめる傑作ばかりだ。

乱歩作品の魅力について、『新潮日本文学アルバム・江戸川乱歩』(新潮社)にはこう書かれている。
『乱歩作品の魅力は、その「少数の人にしか理解できない」「快楽」であり、少年が独り遊びする愉しさに通じている。もとより、この快楽は決して少数の人たちだけが理解するものではない。密やかで孤独で冥(くら)く、それでいて鮮烈な喜びは誰の心の裡にも訪れるものだ。それは猟奇や耽美という言葉だけでは括ることのできない、静かで懐かしい小さな世界を思い起こさせる。乱歩はこの小さな世界にこだわり続けた。いや、私たちもまた、この小さな、それだけに言葉にならない、解決できない世界を気持ちの中に抱きながら日々の生活をやり過ごしているに違いない。だからこそ、乱歩の作品がその心のひだに触れて共鳴するのである。』

乱歩作品の特徴は、根本的な行動や感情は私たちと何ら変わらない日常的なものであるのに、行動やそれを取り囲む世界がとても非日常的だということである。乱歩作品の登場人物たちは、度肝を抜くような行動を選択するので、乱歩作品を読むことは、非日常的を空想することにも繋がるのである。
乱歩の作品の持つ世界観、登場人物たちの情念から生まれた狂気は、徐々に現実と幻想の境界線を消して行き、その妖しく歪んだ魅力にいつのまにか引き込まれてしまうのである。乱歩の描く濃密な暗がりを孕んだ世界は、張り詰めた美しさを見せる時もあれば、息苦しい程の恐怖感を読者に与える事もある。「屋根裏の散歩者」はそのテーマを率直に反映した作品の一つだろう。

「屋根裏の散歩者」は、江戸川乱歩が専業作家となった最初の年、31歳の時に発表された短編である。乱歩が鳥羽造船所に勤めていた頃、社員寮の押し入れで寝ていた経験と、守口町の自宅の屋根裏に侵入し、徘徊した経験から着想を得たと言われている。
物語の主人公、郷田三郎はこの世が面白くなく、退屈な日々を送っていたが、友人の紹介で明智小五郎と知り合い「犯罪」に興味を持つようになる。そして、尾行や女装をして街を徘徊するなど“犯罪の真似事”を楽しむ。“犯罪の真似事”にも飽きた頃、郷田は新築の下宿屋、東栄館に引っ越す。そしてある日、押し入れの天井板が外れることに気付く。その日から、郷田の“屋根裏の散歩”が始まった。人間が決して他人に見せることのない醜態をのぞき見るという快楽の虜となった郷田は、遂に重大な犯罪の誘惑に駆られてしまう。それは屋根裏から下の部屋に寝ている者の口へ毒薬を落として殺害するという計画で、様々な試行錯誤の末ついに成功するのだが、完全犯罪が成立するかと思われた所に立ちはだかるのが名探偵、明智小五郎だった…。
というシンプルな展開である。語り手が読み手に向かって物語る形で綴られているので、文章も読みやすい。しかし、読みやすい文体とは裏腹に、そうした犯罪や着想の妙、あるいは主人公の猟奇性に感情移入させられる恐しさをダイレクトに描いたところが、乱歩の独壇場であり、文章から滲み出る不思議な芸術性が魅力的な傑作である。

江戸川乱歩は、1894年(明治27年)三重県名賀郡名張町(現・名張市)に生まれた。少年時代は亀山町、名古屋で過ごしている。祖父の代までは武家の家柄であり、少年時代は割と裕福な暮らしができ、仲間と雑誌を作ったりしていたが、中学卒業あたりから暮らし向きが思わしくなくなり、彼は一旦は高等学校の進学をあきらめている。
しかし、その後苦学の末、早稲田大学の予科に合格し大学へと進む。在学中の20歳の時にエドガー・アラン・ポーや、コナン・ドイルの英文小説を初めて読み、深く心酔する。そして、短編探偵小説の面白さに開眼し、毎日図書館へ通い探偵小説を読み漁った。暗号の歴史を調べたり、ホームズの短編を試しに翻訳したりするなどの研究に明け暮れ、その頃既に探偵小説を試作している。
大学卒業後は、貿易会社社員や古本屋、夜鳴きソバ屋など様々な職を転々とし、放浪生活を送るなど苦しい時期が続く。さらにその時期に結婚し、経済的には相当追い込まれていたようだ。そんな中、1922年に失職の余暇に書いた「二銭銅貨」が『新青年』の編集者に認められ、この頃からペンネームの江戸川乱歩を使い始める。
その後、31歳で明智小五郎を初めて登場させた「D坂の殺人事件」が好評を呼び、ようやく専業作家としての生活を送ることになる。初期は欧米の探偵小説に強い影響を受けた本格探偵小説を執筆し、日本探偵小説界に大きな足跡を残した。
一方で、衆道の少年愛や少女愛、草双紙、サディズムやグロテスク趣味などへの志向も強く、これを活かした通俗的探偵小説は、昭和初年以降一般大衆に歓迎された。
戦後は評論家、プロデューサーとして活動。経営困難に陥った探偵小説誌『宝石』の編集・経営に携わる。日本探偵作家クラブの創立と財団法人化にも尽力し、同クラブに寄付した私財100万円の使途として江戸川乱歩賞が制定され、同賞は第3回より長編推理小説の公募賞となる。また、新人発掘にも熱心で、筒井康隆、大薮春彦など乱歩に才能を見出された作家も少なくない。

乱歩作品では、しばしば安っぽい装置や調度や擬装が登場する。他人になりすます変装や、ビルに照らし出す幻想、人形が生きた人間に見えてしまうトリックなど、そんなことで人が騙せるのかと思うような設定が多く使われている。しかし、それは乱歩がわざと選んだトリックなのである。そこには、明治27年に生まれ、大正末期から昭和初期に作品を書き始めたということ、すなわち“日本が近代化を装い、それが完成しつつあるときに、その本質を見失っていった”という時代背景も関与しているのではないだろうか。
江戸川乱歩は安っぽいのではなく、当時の都会が醸し出していた日本人の怪奇幻想を、文字通り言葉で演出した作家なのだ。“何が後に懐かしい怪奇となるか”を乱歩は最初から知っていたということなのだろう。

「屋根裏の散歩者」は、すでに名作として定評があるが、この発想は日本の家屋がある限り常に斬新だ。どんなに映像化が試みられても、どんなに世の中変わろうと、本作の価値は変わらない。
生前の乱歩が好んで書いたのは、“現世は夢、夜の夢こそまこと”という言葉だったそうだ。少年時代から夢や空想に耽っていた乱歩は、人気作家になった後も何度となくフラリと放浪し、編集者を困らせている。そして、放浪から戻ると「押し絵と旅する男」などの傑作を執筆している。
江戸川乱歩は、昭和40年7月28日、脳溢血のため逝去した。享年70歳。戒名は智勝院幻城乱歩居士である。

参考文献:『新潮日本文学アルバム・江戸川乱歩』(新潮社)

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