本:多くを教えてくれる

源頼朝をして『天下一の大天狗』と言わしめた傑物

「後白河院」

井上靖



 後白河院(在位中は天皇、院政を行っていた時は上皇、出家した後は法皇。院号“後白河院”は御所の場所であり、亡くなられた後で諡号(しごう)となった)は、歴代天皇の中でも何かと悪いイメージがつきまとう人物である。しかし元々は皇位継承と無縁で、若い頃は“今様狂い”と呼ばれ、変人ぶりでも有名だった。今様とは“今風・現代的”という意味で、平安時代に流行った七五調の民謡のこと。後白河院は今様好きが高じて『梁塵秘抄』という歌謡集を自ら編纂しているほど。有名な「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせむとや生れけん」は『梁塵秘抄』に収録された今様の中で最も有名な歌だ。
そんな後白河院には皇太子時代がなく、鳥羽上皇(父)や崇徳上皇(兄)からも「即位の器量にあらず」「文にも武にもあらず、能もなく芸もなし」と酷評されていた。ところが、まだ幼かった二条天皇への中継ぎという名目で29歳にしていきなり即位することになる。29歳という高年齢(当時、天皇即位の平均は7歳前後)での即位は異例だった。
そんな後白河院が誰も予想しなかった長期の政権を手にすることが出来たのは、実はかなり知略に優れた人物だったからだろう。
 余談だが、後白河天皇の即位に不満を持っていた崇徳上皇は、父・鳥羽上皇が亡くなった9日後に保元の乱を起こす。しかし、後白河天皇は平清盛を味方につけて勝利。その後、平家と密接な協力関係を結ぶ。敗れた崇徳上皇は讃岐に流され、軟禁生活の中で仏教に深く傾倒し、戦死者の供養と反省の証にと写経を後白河天皇に送るが「呪詛が込められている」として送り返され激怒。「日本国の大魔縁となる」と呪いの言葉を唱え46歳で亡くなる。その後、都に大火や異変が続いたため「崇徳院のたたりだ」と噂され、崇徳上皇は日本一の大怨霊と言われるようになった。
 本書はそんな後白河院が、いかにして傑出した天皇(上皇)になったのか、井上靖が4人の日記から後白河院の人物像を紐解き、上品な文体で描き出している。
第1部 摂関家の家司(家老のようなもの)だった平信範(たいら の のぶのり)の日記「兵範記」より。1156年保元の乱から1160年平治の乱まで。
第2部 後白河院の譲位後の妃である建春門院に仕えた建春門院中納言(けんしゅんもんいんちゅうなごん)の日記「たまきはる」より。1168年から1176年建春門院の逝去まで。 
第3部 後白河院の側近を務めた吉田経房(よしだ つねふさ)の日記「吉記」より。1177年の鹿ヶ谷事件から1185年に平家が滅亡し、義経が都に凱旋するまで。
第4部 九条兼実(くじょう かねざね)の日記「玉葉」より。1185年の平家滅亡から1192年後白河院崩御まで。
 この中では側近として後白河院の心情を伺い知る立場にいた吉田経房と、九条兼実の日記が興味深い。兼実は一貫して後白河院と距離を置いていたが「政をしろしめすお立場は院おひとりだけのものであり、それはご自分おひとりでしかお守りになれないものである」「後白河院だけは六十六年の生涯、ただ一度もお変わりにならなかったと申し上げてよさそうである」と、多くの公卿や武家を相手に孤独な闘いを続けてきた後白河院に敬意を表している。
 貴族から武士へと権力が移行していく激動の時代に権力を保持し続けた後白河院は、即位から4年目で約束通り息子(二条天皇)に皇位を譲り、院政を開始する。そして二条、六条、高倉、安徳、後鳥羽の5代にわたって院政を執り続けたのだ。
ちなみに後白河院お気に入りの孫、後鳥羽天皇は4歳で即位しているが、後鳥羽天皇が自身の持ち物に菊の御紋をつけさせたため、以後これが皇室のシンボルマークになったとか。
 出家して法皇となった後白河院は、力をつけてきた平家を討伐しようと密かに計画を進めるが、失敗に終わり(鹿ヶ谷の陰謀)平清盛によって幽閉されてしまう。しかし、これを耐え忍んだ後白河院は清盛が死去すると政治の表舞台に返り咲き、平家討伐を裏から操った。その後も多くの政敵によって幽閉されたり流罪にされたりするのだが、不死鳥のように復活する。
源平の戦いで木曽義仲が京に入ると聞けば義仲の元へ行き、源頼朝が立てば頼朝に義仲追討を命じ、平家を倒した源義経が京に戻れば官位を与え、それに頼朝が怒れば、頼朝に義経追討の命令を出す…と、見事にそれぞれの勢力を手玉に取っている。よく言えば知略的、悪く言えば老獪な人物だ。そして、恐ろしい程に強運の持ち主でもある。
ただ、後白河院の立場からすれば、朝廷の権力を守るために武家社会に抵抗するのは当然だ。決して武家の言いなりにならず、権謀術数の限りを尽くして朝廷権力を保持した後白河院。彼は激動の平安末期を強かに生き延び、晩年は崇徳院の御霊に悩まされたりしたが、66歳で大往生を遂げた。その顔には微笑を漂わしていたという。
 本書では後白河院の人間性についても解説していて興味深い。時々お忍びで出掛けたり、身分に関係なく人に接するため大衆には人気があったという。いわゆる帝王学を学んでいないので、一度敵対した相手やその子弟も積極的に登用する柔軟性を持っていたが、保守的な貴族達にはかなり嫌われていたらしい。政治家としては狡猾で冷徹な手腕をふるい長期政権を握っていたが、残された資料や文献からは人間らしい一面も垣間見える。
こうして興味深い人物について調べていると、学校では“単語”として丸暗記していた人物それぞれにドラマがあり、全てが繋がっていることが分かる。彼らは実際に生き、戦っていた。そんな時代の息吹をリアルに感じ取り、そこから様々な想像力を働かせることが出来るのが時代小説の魅力だと言えるだろう。
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