本:多くを教えてくれる

誰も教えてくれなかった本当の日本史

「異形にされた人たち」

塩見鮮一郎



 私たちが知っている幕末・明治維新はドラマチックで、数え切れないほど小説や映画、ドラマの題材として取り上げられている。
しかし、本書に描かれている明治維新後の日本を私は今まで一度も聞いたことがない。
徳川政権が倒壊すると、支配層と富裕層は江戸を捨てて逃げ出したという。大名が戻ってきた地方都市では、昔のままの安定した暮らしが続いたが、貧困層だけが取り残された江戸は全く違った社会に生まれ変わることを余儀なくされた。囚人たちは牢屋敷から放出され、下級奉公人は大名の帰国に従うことを許されず、置き去りにされた。江戸の街は乞食や非人、浪人であふれ、飢えて横たわる者が数えきれない程であったという。
その後、明治の近代化という洗礼を受けた人々は、貧民層や部落の人々、コジキ、ハンセン病患者、辻芸人、障碍者、サンカ、アイヌといった人たちに“異形”を再発見したのである。しかし、彼らははるか遠い昔から存在していた人たちだ。タイトルの「異形にされた」というのは、「以前は異形でなかった人たちを周囲が異形として扱うようになった」という意味である。どの時代においても自然体で暮らしていた人たちに対し、不自然に姿や考え方を変えていったのは社会の側なのだ。
 明治時代、みんな平等に戸籍を持たなければならないと決まった時にも抵抗もあったそうだが、中でも山に住む戸籍を持たない人々である山窩(サンカ)は国家警察に悪とみなされ、撲滅運動キャンペーンまで起こったそうだ。理由は微税と、彼らが時折里に住む人達を襲撃するからであった。明治時代、サンカ狩りは警察によって盛んに行われたという。
 サンカとは、日本の山間部を生活の基盤とし、夏場の川魚漁、冬場の竹細工を生業としながら山野を渡り歩く漂泊の民である。現在でもその実体は十分につかめていないが、生産技術や社会関係、信仰といった生活様式が平地の民と異なるため異端的に見られていた。サンカは戦争のたびに定住を強制され、ついに太平洋戦争を境にして不明になったと言われている。
サンカが人々の話題になり始めたのは、明治になって戸籍制度が整備され始めたからである。しかし、柳田国男や喜田貞吉などの研究はあるものの、その後は追跡調査もされなかった。いまだにサンカとは何者か、その定説すらない。それはサンカに関する資料が皆無であることも影響していた。文字を持たなかったサンカは、書いたものを残さなかったのだ。
このサンカという呼び名は、サンカ以外の人たちが付けた名称なので、彼らはサンカと呼ばれるのを嫌がっていたそうだ。しかも、サンカは里人たちと共存共栄をはかっていながら、サンカ蔑視政策によって孤立させられていた。そのため、なかなか彼らの実体が明らかにはならなかった。
 江戸時代にも存在したはずのサンカは、土地を持たず、マタギのように鳥獣を捕るわけでもなかった。彼らは税も払わず、夫役も命じられない存在であった。一般人との接触を殆ど持たない時代には迫害もなかっただろう。しかし、明治維新後に政府が考えたことは“欧米列国に恥ずかしくない国家体制を作ること”であった。戸籍も持たず、実体のよく分からない集団がいることを国の恥だと考えたのだろう。
こうした歴史は、支配階級がひた隠しにしてきた真の日本史でもある。
 塩見鮮一郎は、江戸時代には黙認されてきたアウトローな人々が、明治の近代化により、異端視され異形化されていく過程、警察によって捏造されたサンカという存在、異形の人として正史から消し去られた人たちを、再び歴史の暗部からすくい上げようとしている。その姿勢、考証に基づく論及には頭の下がる思いだ。
塩見氏は序文の最後に、このように書き記している。
“サンカ、コジキ、エミシ、非人、弾左衛門などなど。かれらを「異形」として見てしまうのが、維新以降に誕生した「知識人」だ。異形として見てしまったあとで、反省もこめて、「反差別」の主張になる。そして、精神のこのはたらきは、百年以上たった今も続いていて、まだ、そこから自由ではない。「異形」でもなんでもなかった人を、「異形」としてとらえ、その「同形化」にひたすら努力する社会とは、いったい、なんなのだろうか。やがて、「同形化」が社会のほとんどのエリアをおおいつくしたとき、「異形」と名づけ、かれらを同化しなければならないという強迫観念にとらえられ、そして、ついに消し去った行為は、どのように理解されるのだろう。消し去られた人は、どのように迫憶されるのだろうか。”
 このような「異形」とされている人たちの中にこそ、この国が失ってしまった大切な何かがあったような気がしてならない。私たちは、表舞台の出来事だけを教わり、それを鵜呑みにしている。しかし、歴史の片隅で誰にも知られることなく消えて行った人たちや、美化することも忘れ去ることも許されない真の歴史が存在しているのだ。それらについて知ること、そして受け止めることが必要なのではないだろうか。
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