本:多くを教えてくれる

繊細な男女の機微と情熱的な和歌

「伊勢物語」




 日本最古の歌物語として知られる「伊勢物語」は全125段からなる短編集で、ある男の元服から死の直前までを描く一代記となっている。作者、成立共に未詳だがモデルは在原業平(825年~880年)と言われている。風情と人間味にあふれた「伊勢物語」は、約100年後に書かれた源氏物語にも多大な影響を与えたと言われる傑作で、他にも「平家物語」や「更級日記」、松尾芭蕉の「おくのほそ道」など多くの作品に影響を与えた。
 数々の女性と浮き名を流す絶世の美男子として知られている在原業平は、出自をたどれば平安京を開いた桓武天皇の曾孫であり、平城天皇の孫というたいへん高貴な血筋である。しかし、平城天皇が皇位を弟の嵯峨天皇に譲った後に揉め事が起こり、やむを得ぬ事情で臣籍降下(皇族が一般人になる)せざるを得なくなり在原姓を名乗るようになった。
菅原道真らが編纂した「日本三代実録」には業平のことが「体貌閑麗、放縦不拘、略無才覚、善作倭歌」と書かれている。現代風に言うと“イケメンで自由奔放な性格、漢詩・漢文の才能は無いけど和歌はむちゃくちゃ上手い”ということになるだろう。おまけに悲劇の背景を持った高貴な血統。これでモテないわけがない。あの小野小町でさえ落としたとか、彼をひと目見ただけで恋に落ち、そのままこがれ死にしてしまった女性もいるという伝説まであるツワモノぶりだ。
 しかし「伊勢物語」は、単なる好色男の恋物語ではなく、藤原家全盛の平安初期という時代に苦悩し抵抗した業平の素顔も垣間見ることができる。
第3段から第7段にかけて、後に清和天皇の后となる藤原高子との恋愛が描かれている。彼女は当時17歳、業平は35歳。この時代、藤原氏は権力を握るために天皇家へ娘を送り込んでおり、高子も天皇の后となることが決められていた。お相手の清和天皇は、この時なんと9歳。そんな境遇の高子を業平はさらったのである。第6段で二人は駆け落ちするのだ。結局、この駆け落ちは失敗に終わり、高子は兄の国経・基経により連れ戻され監禁されてしまう。そして業平は「もう京には居ることが出来ない」と傷心の旅に出ることを決意する。これが有名な「東下り」だ。
 平安初期の陰謀、謀略、骨肉の争い…優雅さの裏にドロドロしたものが隠された時代。「伊勢物語」はフィクションなので真相は想像するしかないが、業平は藤原氏が大切にしている姫君と駆け落ちするという形で権力に抵抗したのかもしれない、という推測もできる。藤原氏に一矢報いた業平の行為は、藤原氏に手も足も出ない廷臣たちにとっても痛快だっただろう。
その後、京に戻った業平は清和天皇の時代にどんどん出世する。清和天皇の妻は、二条后=藤原高子だ。清和天皇と高子の間に生まれた陽成天皇の時代も在原業平は出世を続け、蔵人頭(天皇の官房長官のような役職)にまでなっている。
清和天皇が上皇になると高子は皇太后として政治を後見し、兄の基経を退けている。基経は高子が業平と駆け落ちした際に連れ取り戻した兄の一人。こうした史実との絡みも面白い。
 しかし、これだけの恋愛騒動を起しながら、業平は文徳天皇の娘、恬子(やすこ)内親王とも関係を持つ。この恬子内親王は斎宮と呼ばれ、神聖にして冒すべからざる神女だった。業平は恬子内親王の兄、惟喬親王と大変親しかったことから、惟喬親王の書状を持って恬子に会いに行き、一夜を共にしてしまうのだ。しかも、一夜限りの逢引で恬子内親王は懐妊。神の子に手を付けたばかりか大変なことになってしまい、伊勢神宮ではこの処置に苦慮することになる。この伊勢での業平の所業から、この歌物語に「伊勢物語」というタイトルが付けられたと言われている。
 こうした部分だけをピックアップすると在原業平という人物は単に女癖の悪いスケベ男のように思えてしまうが、読み進んでいるうちに(まぁこの人なら許せるな)と思わせてしまう魅力があるから不思議だ。その理由のひとつに彼の詠む和歌の美しさが挙げられるだろう。また、政争に敗れ、言霊信仰の時代に「(都ではなく)原にでも在れ」と、在原の姓を賜ることしかできなかった一族の心情を想うと読み解き方も変わってくる。
 「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」(世の中に桜なんてなかったら、いつ咲くかな、ああ、もう散るのかな、なんて心煩わされることなく春を過ごせたのに)
この歌は表向きは桜の歌だが、(貴女にさえ出会わなければ、恋煩いに苦しむことはなかったのに)というせつない恋の歌としても読める。
「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」という百人一首でもおなじみの歌は少女漫画のタイトルにもなっているし、「名にしおはば いざ事とはむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」という歌は隅田川に架かる言問橋として現在も生きている。
そして125段で「つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど きのふけふとは 思はざりしを」(最後には誰もが行く死への道だとは聞いていたが、それが昨日今日というくらい身近に迫っているとは思わなかった)という最後の歌を載せ、物語は終わる。
 現在も京都の十輪寺では5月28日(業平の命日)には業平忌が営まれ、業平を偲ぶ多くの俳人・歌人が集まるという。また、恋愛成就のご利益があるとも言われ、女性の参詣者も多いとか。
人に対する気遣いができ、機転がきき、寛容な男。教養があり情感豊かで男同士の友情にも厚い。そんな人として好かれる魅力を備えた業平は、現代人の心も捉えるのだろう。
 古典と聞くと「テストに出る難しいやつ」と思われるかもしれないが、「伊勢物語」に描かれる男女の機微には現代人も見習いたい魅力が詰まっている。和歌を詠み合いながら恋を進めていくという文化の高さ、優雅さ。春夏秋冬、花鳥風月に心を寄せる抒情性。こんなに細やかな日本文化の情感を知らずにいるなんて残念すぎる!
メールやLINEがコミュニケーションツールになってしまった現代人が便利さの代わりに失ってしまったもの、その大きさは計り知れないのかもしれない。

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