本:多くを教えてくれる

彼はいかにして“マリリン・マンソン”になったのか

「マリリン・マンソン自伝 -地獄からの帰還-」

マリリン・マンソン/二ール・ストラウス 著/村上ひさし 訳



 自伝という括りにはなっているが、内容は生い立ちだけでなく、彼が以前書いた短編や詩、イラスト、写真、未公開のインタビューなどもあり、読み応えは充分。もともと作家志望でジャーナリストだっただけあって文章も上手く、まるで物語を読んでいるような完成度の高さだ。
 マリリン・マンソン(本名ブライアン・ヒュー・ワーナー)は、カトリック教徒の父親と、米国聖公会の教会員であった母親の間に生まれた。両親によってカトリックの学校に入学させられ、キリストについて毎日嫌というほど教育され、それに対する反発が反キリストとしての彼の人格を形成していったという。彼は孤独であり、そこからの現実逃避としてロックに出会った。
 そんな彼がジャーナリストとして執筆活動をしていた時期に思いついた架空のキャラクターがマリリン・マンソンだった。マリリン・マンソンの“マリリン”はマリリン・モンローから、“マンソン”は伝説の殺人鬼のチャールズ・マンソンから取ったもので、“マリリン”は美の象徴、“マンソン”は悪の象徴という意味らしい。
自伝の中にはバンドを結成する以前、“ぼくはパフォーマーとして、出来る限り大声で、かつ持続性のある目覚まし時計でありたかった。キリスト教とメディアによってもたらされた昏睡状態から社会を目覚めさせるためには、ほかには手段はないように思われた”という一文がある。
セカンドアルバム『アンチクライスト・スーパースター』が大ヒットし、物議を醸す過激な歌詞とアブノーマルなヴィジュアルで圧倒的な支持を得たマリリン・マンソンは、その過激さゆえに狂信的キリスト教徒から妨害活動や誹謗中傷を受け、ライブの度に抗議デモが繰り広げられるという。しかし、彼が反キリストを歌う理由は「神はいるかもしれんが、キリスト教徒が自分らの価値観を押し付けるために方便として使うような神は存在しない」と言っているように、アメリカ人の価値観に疑問を突きつけるためなのだ。
また、“2本足で立つ動物である人間は、生まれつき(本能、それとも原罪のどっちと呼ぶにしろ)悪の側へと引き寄せられる。だからみんなは、いつもぼくの暗い側面について尋ねはしても、マリリン・モンローについては尋ねないのかもしれない。美とグラマーの象徴であり続けるマリリン・モンローではあるけれど、ちょうど善良で知的な側面がチヤールズ・マンソンにもあったのと同じように、彼女にだって、暗い側面というのがあった。善と悪のバランス、そして、そのあいだにおけるぼくたちの選択というのは、おそらく個性や人間性を形成するもっとも重要なひとつの局面なのだろう”とも書いている。
さまざまなバッシングを受けても己のスタイルを崩さず、自分が心に受けた傷をパフォーマンスとして昇華させてきたマリリン・マンソン。本書を読むと、彼を批判している人たちは、偏見だけで彼の人間性を決めつけていることが良く分かる。
 私自身は、マリリン・マンソンの音楽を聞いたことはなく、映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」のインタビューで彼を初めて観た。
この作品は、2002年にマイケル・ムーアが制作したドキュメンタリー映画で、コロンバイン高校銃乱射事件にまつわる様々な人物にムーア監督がインタビューを敢行したものである。
当時、犯人の高校生が聞いていた音楽がマリリン・マンソンだったと報道され、彼はまるで事件を起こした犯人のように非難されていた。(後に犯行に及んだ少年たちはマリリン・マンソンのファンではなかったことが判明したが、メディアはその事実を報道しなかった)
映画の中でインタビューに淡々と答えるマリリン・マンソンは、ムーア監督に「あなたなら銃を手にした学生たちに何を話すか?」と聞かれ「何も話さない。まず彼らの話を聞く」と答えていた。その答えがとても印象的で心に残った。この映画に登場したどんな知識人よりも、まともなことを言っていると思った。また、こうも言っていた「なぜ俺が攻撃されるのかわかるよ。俺を犯人にすれば簡単だからだ。」彼は問題の核心を誰よりも冷静に見抜いていたのだ。
 コロンバイン銃乱射事件の後、マリリン・マンソンが書いた手記にはこんなことも書かれている。“ただ、子供たちがこうもシニカルに育っているのは何もそう不思議なことではない。とにかく、これだけの情報が目の前に積み上げられていればそれも無理はないし、自分が今住んでいる世界が嘘で嘘を塗り固めたような物であるのは一目瞭然だからだ。(中略)僕がいつも人に伝えようと思ってきたのは、既成のプログラムに自分が合わなくなってもそれは構わないのだし、むしろそのほうがいいのだということなのである。僕みたいな、オハイオ出身の変態野郎でも何かしらの存在にはなれるのだから、僕以外の人間が意思とクリエイティヴィティを使って何かしらの人物になれないはずがないのである。”“僕は論争を呼ぶタイプのアーティストではあるし、敢えて自分なりの主張というものを掲げるし、この水増しされて虚ろな世界で人々の発想に挑みかかるような音楽とビデオをわざわざ作っている。僕の作品の中で僕が検証しているのは、僕たちが現実に住むアメリカであり、僕たちが自分たちの残忍さの罪をなすりつけている悪魔とは、実は僕たち以外の誰でもないということを僕は人々に示そうとしてきたのだ。”
 マリリン・マンソンが表現する世界観は、過激でグロテスクで繊細だ。彼はマリリン・マンソンを演じることで、さまざまな地獄を目の当たりにし、自分の生まれたアメリカという国を最も正確に体現してきたのかもしれない。そこから何を得たのか、それとも、まだ彼は何かを模索しているのか―。その答えは、これから彼が表現する世界観の中に秘められているのだろう。彼がどのようなメッセージを発信するのか、興味深く見守っていきたい。


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