本:多くを教えてくれる

現代社会の矛盾と危機

もの食う人びと」  辺見庸
(1944~)



世界の実相を看破出来る数少ない作家と称される辺見庸。
宮城県石巻市南浜町出身の彼は、早稲田大学第二文学部社会専修卒業後、共同通信社に入社。北京・モスクワ・ハノイ特派員などを務め、北京特派員時代の1979年に「近代化を進める中国に関する報道」により新聞協会賞を受賞する。1987年、2度目となる北京特派員を務めた際、中国共産党の機密文書をスクープし当局から国外退去処分を受けた。
外信部次長を務めていた1991年、職場での経験に着想を得た小説「自動起床装置」で第105回芥川賞を受賞。また、詩集「生首」では中原中也賞を受賞している。他にも映画化された「うなぎ」の原作「赤い橋の下のゆるい水」などの小説やルポルタージュ、エッセイと著作は多岐に渡っている。
2004年3月、新潟で講演中に脳出血で倒れ右半身麻痺、その後は癌も発覚するが、現在もなお執筆や講演会など精力的に活動を続けている。

1994年に単行本が出版された「もの食う人びと」は、バングラディシュ・フィリピン・ベトナム・タイ・ドイツ・ポーランド・クロアチア・ユーゴスラビア・オーストリア・ソマリア・エチオピア・ウガンダ・ロシア・択捉・韓国といった各地で “もの食う人々”に接近する。そして、その人たちが置かれている社会環境まで鋭く描き出している。
辺見氏が始めに訪れたのはバングラデシュ。ダッカの市場では1回の食事が十数円だが、売られている食事はみんな残飯だ。何も知らず米と骨付き肉を食べるが、途中で肉の歯型や腐敗臭消しの線香に気付いて思わず皿を放り出す。その皿を奪い取り、残った残飯の骨付き肉にわき目も振らず噛み付く少年。腐りかかった物を食べる人たちがここにはいるのだ。
しかし残飯でも食べられる人間はまだいい。残飯すら食べられず行き倒れになる者も多いという。

飢餓のソマリアでは、栄養失調と結核で枯れ枝のようになった少女の話が出てくる。当時ソマリア復興のためつぎ込まれていた人道援助費は1億6600万ドル。これに伴う国連軍の軍事活動費が15億ドル以上。 国連軍の合同食堂では、兵士たちがサラダ、リゾット、牛肉の赤ワイン煮などのランチを食べている。米軍の携帯食はビーフシチューからハムオムレツまで十数種ある。そして外では、やせ衰えた難民が、ただただ死を待っている。
こうした矛盾に憤りを感じずにはいられないが、日本人が“飢え”の恐怖を実感として想像する事は難しいのも事実だ。ちなみに東京では1日50万人分の残飯が捨てられるという。
コンビニでは24時間食べたい物を買う事ができるし、スーパーでは加工されパック詰めされた清潔な食べ物が手に入る。しかし、その食材がどこの国で獲れたのか、どのように加工されたのか、何も知らない人が大半を占めるこの国は果たしてまともなのだろうか?

もうひとつ、現在の日本人にとっては他人事と思えない話が「禁断の森」だ。
1986年のチェルノブイリ原発事故から8年経った1994年当時でも、魚やキノコ類、リンゴなどには放射性物質が残留しているから食べないほうが良いと言われていた。しかし、政府の指示で一時疎開していた住民たちは新しい土地に馴染めず、物価高でお金も続かない。「村のきれいな空気が懐かしくて」と立ち入り禁止区域に戻ってきた老人たち。彼らは海外からの物資があっても疎開先の子どもたちに送ってしまう
そして、その日の命をつなぐために汚染されたキノコや林檎を食べる。一緒にお酒を飲めば大丈夫という迷信を自分に言い聞かせて“緩慢な危機”を選んでいる。

巻頭「旅立つ前に」で辺見氏はこう書いている。
“私はある予兆を感じるともなく感じている。未来永劫不変とも思われた日本の飽食状況に浮かんでは消える、灰色の、まだ曖昧で小さな影。それが、いつか遠い先に、ひょっとしたら「飢渇」という、不吉な輪郭を取って黒ずみ広がっていくかもしれない予兆だ。”
いま、彼のこの言葉の恐ろしさを現実として感じずにはいられない。飢餓という現実はひたひたと音もなく、すぐ背後まで忍び寄っているのではないだろうか。

坂本龍一との共著「反定義―新たな想像力へ」では、当時を振り返りこう語っている。
“僕はその時に、自分がマスコミで働いていまして、こんなにあざとくてインチキな仕事はないなと思いました。個人として眼前の飢えた子供1人を助けることも出来ない。記者として書いても載らない。(中略)世界から祝福もされず生まれて、世界から少しも悼まれもせず、注意も向けられず餓死していく子供が沢山います。ただ餓死する為に生まれてくるような子供がです。間近でそれを見た時、世界の中心って此処にあるんだなと初めて思いました。これは感傷ではありません。”
“世界は元々、そしていま現在もそれほど慈愛に満ちている訳ではない。(中略)アメリカで起きた屁のようにつまらないことが、まるで自国のことのように日本でも報道される。けれども、エチオピアで起きている深刻なことや、1人当たりの国民総生産がたった130ドルのシエラレオネで起きている大事なことは、先ず日本では報じられない。この国では、何処のレストランが美味いか、何処のホテルが快適か、何処で買うとブランド商品が安いか、何を食えば健康に良いのか、逮捕された殺人容疑者の性格が如何に凶悪か、タレントの誰と誰がいい仲になっているか…といった情報の渦の中で僕らは生きています。伝えられるべきことは、然程伝えられなくてもいい事柄に揉み消されています。”

「もの食う人びと」から連なる辺見氏の一連の著作から見えてくる矛盾や歪み。そして今の日本は、まさに辺見氏が危惧した通りの道を歩んでいるという恐怖。辺見氏の思想は偏り過ぎだという意見も時折耳にするが、耳当たりのいい言葉だけを鵜呑みにしていたら、どうなってしまうのか。食糧自給率の低い日本が飢餓と言う危機に直面した時、はたしてどのような事態に陥るのか…。
大切なのは自分の目で見て、自分の頭でしっかり考える事だ。そんなメッセージを強く感じずにはいられない。
本トップ