本:多くを教えてくれる

老人と若い女性に化けた金魚の生活を綴った物語

蜜のあわれ」  室生犀星
(1889~1962)





室生犀星晩年の作品にあたる「蜜のあわれ」は、犀星の分身のような齢七十の“おじさま”と赤い三年子の金魚“あたい”の会話のみで構成された物語である。この金魚が、あどけない幼児のようかと思えば、蓮っ葉な娼婦のようでもあり、とても魅力的だ。“あたい”は、普段は庭の池で泳いでいるが、気が向くと20歳くらいの美しい女性の姿に変身して外出したりする。普通の人間には彼女の正体が分からない。“あたい”は飼い主の老作家を“おじさま”と呼び、取りとめもないお喋りを楽しむ。「おじさまの愛人になってあげるから、月々のお手当てとして5万円ちょうだい」と駆け引きしてみたり、なかなか小悪魔的なところもある。 ただ、ずっと人間に変身している訳ではなく、金魚の姿に戻ってちょろちょろと泳ぎながら、おじさまのお腹や背中の上をくすぐって遊んだりもする。
ストーリーが会話だけなので場面転換の説明がなく、今まで若い女性だったはずが気づくと金魚になってめだかを囓っていたり、金魚のまま庭の木々の間をふわふわ飛んで消えてしまったり、シュールな光景が淡々と描き出されていく。一方で、既に亡くなっている“田村のおばさま”を登場させることにより、死の影も色濃く漂っている。犀星の分身である老作家は、すでにこの世ならぬ世界を見つめているかのようだ。終始漂う濃厚な死の影がエロティックさと結びつき、美しく繊細な日本的幻想世界を紡ぎ出している。そして、あの世の者とこの世の者の媒介としても、金魚という存在が効いている。

室生犀星と言えば、多くの人が思い浮かべるのは「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの…」という有名な詩だろう。
室尾犀星は、60歳の父親と若い女中との間に生まれ、体裁を重んじる家族により生後まもなく生家近くの真言宗寺院住職・室生真乗の内縁の妻、赤井ハツに引き取られ、ハツの私生児として戸籍に登録された。
この赤井ハツが曲者で、赤ん坊を引き受けるのと引き換えに大金をせしめる生活を普段から行っていた。犀星は実母の顔すら見たことがないまま、ハツの暴君ぶりに怯えながら地獄の幼年時代を過ごした。
小学校に入った犀星は手のつけられないガキ大将として教師に憎まれ、劣等生であった。すぐ近くにあった実の父母の家に行くことも禁じられ、ハツからは「女中の子」として蔑まれる。その頃、実の父は他界し、女中であった実母は罪人のように追い出されてそのまま行方知らずとなった。犀星は、終生実母と会うことなく過ごした。高等小学校を落第・中退し、義兄の勤務する金沢地方裁判所に給仕となった犀星は、自分の逆境に荒み、劣等感の塊であった。そんな犀星を救ったのが俳句であり詩である。
犀星は、金沢の名士や文化人が集まる俳句の会に入り、その才能を認められ作家を志して上京する。東京時代、苦しい生活の中で故郷の金沢を想って読んだ詩が「ふるさとは~」なのだ。犀星にとって故郷は辛い思い出の地でしかなく、帰る場所ではなかった。

母親の愛情を知らずに育った犀星は、全てを包み込むような女性の愛情に常に憧れていたという。
「蜜のあわれ」は死の3年前に書かれたものだが、『感情もなにも見えないさかなといふものに、その生きる在りかを見たいばかりに』魚を愛で、多くの作品に描いてきた室生犀星が『繚乱の衣装を着用した一尾の朱いさかなの事を書いて、私の知ったかぎりの女達をいま一遍ふりかへつて見』ようとしたのだ。
犀星は、年老いてなお燃える炎のような自分自身身の性欲を表現した。そして、その炎が消え去る瞬間の「あわれ」と感じる空しさ、哀しさを捉えた。
これが晩年の犀星が見ていた妄想かと考えると、また違った凄味も感じられる。究極の女性“あたい”と、全編に漂う死の気配。死とエロスが隣り合う、美しく怖ろしい世界。
室生犀星は、生前「一生仕事をやり通したって、ただそれだけでは男として何の値打ちがあるか。最後に傍らにいてくれる女があってこそ、その男の生涯は映えて額縁に納まる」というのが口癖だったという。犀星の好みははっきりしていて、楚々とした女性よりルノワールが描くような豊満な女性を好んだらしい。
そして、自分の不遇な幼少時代を埋めるかのように、家庭をとても大切にする人だった。

この作品を初めて読んだ時、その感性に川端康成と共通するものを感じたのだが、実際に川端康成は室生犀星を「言語表現の妖魔」と讃えていたそうである。芥川龍之介すらもその感性に羨望したという室生犀星の巧みな言葉づかい。上品で美しく、水に濡れた艶やかなイメージと可愛らしさを併せ持った金魚の姿や情景がありありと目に浮かぶ。しかし、同時にこの作品を映像化することは不可能だろうと思わせる。室生犀星の言葉以上に美しい表現方法など存在しないからだ。
(余談だが、本作のあらすじを聞いてジブリの某作品を連想された人もいると思うが、事実あの作品は公開前「蜜のあわれ」から構想を得たのではないかと囁かれていた。)

「蜜のあわれ」が収録されている単行本には、他にも骨董の壺に魅せられた随筆風の「陶古の女人」、「蜜のあわれ」の装幀にどうしても燃え尽きた金魚が海に飛び込むという魚拓を使いたいという願いが叶えられるまでの顛末を綴った「火の魚」、闘病記の「われはうたえども やぶれかぶれ」、絶筆の詩「老いたるえびのうた」が収められている。
「われはうたえども やぶれかぶれ」は癌の闘病記だが、病のために尿の出ない苦しさを延々と記し、治療の順番を巡って他の患者とガンを飛ばしあったり、コバルト放射治療中に『こういう時はおんなのことを考えるのが一等だという考えで、私はおんなのことをあれこれ頭にうかべた』り、カテーテル挿入の際に刈られた毛を返せと看護婦とやりあったり…一筋縄ではいかない人物像が垣間見えて面白い。
この本を読めば、学校で習ったお堅い室生犀星しか知らない人も、必ずそのイメージが変わることだろう。
美しい文体でシュールな妄想を書いた物語と、超リアルな随筆、その両方が読める素晴らしい一冊である。


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