本:多くを教えてくれる

実は暴力的だった平安貴族たち

「殴り合う貴族たち 平安朝裏源氏物語」

繁田信一



 著者は、歴史民俗資料学博士の繁田信一氏。繁田氏が本作の情報源にしているのは、藤原実資(さねすけ)の「小右記(しょうゆうき)」という日記。藤原実資は賢人右府(けんじんうふ)と呼ばれるほど賢明な人物で、紫式部や絶大な権力を誇っていた藤原道長でさえも一目置いていたとか。そのため「小右記」の内容も信憑性が高いという。
 平安時代の上級貴族というと、華麗で雅なイメージが浮かぶ。しかし、現実の貴族たちは頻繁に暴力事件を起こしていた。自宅で、他家で、路上で、殴ったり蹴ったりの暴力行為に及んでいたのだ。ときには、天皇の御前で取っ組み合いをすることさえあったという。平安貴族が冠や烏帽子をつかみ合ったり衣をボロボロにしながら殴り合っている図を想像すると、不謹慎だが笑ってしまう。時代としては宮廷文化の最盛期。源氏物語には描かれる事のなかった平安貴族たちのリアルな姿は非常に興味深く面白い。
 本書で紹介されている事件の多くは貴族の従者たちの集団行為だが、もちろん黒幕は彼らの雇い主である貴族たちだ。そして被害者の多くも貴族やその従者たちである。
平安時代は、同じ罪人でも身分によって処遇がまったく違っており、暴力事件を起こした人物も地位や生まれによって責任を問われない事もあった。そもそも平安時代の人間が現代人と同じ価値であるはずがない。政権争いや陰謀が渦巻いている時代に社会正義など存在しなくて当然だろう。法律も警察制度も整備されていない時代、理不尽な暴力沙汰が頻繁に起こっていたことは容易に想像できる。
 当時、天皇が日常の居所としていた清涼殿の南側には「殿上(でんじょう)の間」と呼ばれる一郭があり、そこは天皇の許しを得た者しか立ち入れなかった。殿上の間に立ち入ることが出来る人々は「殿上人」と呼ばれ、数百人いる平安貴族の中でも一握り、50人弱だったという。王朝貴族にとって、殿上人は雲の上に住む人々のようなものだった。
しかし、そんな殿上人の中にも暴力沙汰を起こす者が少なくなかった。彼らは身分の低い者を寄ってたかってボコボコにしたり、従者を使って他人の家に殴り込みをかけたり、果ては自分の従者を殺したり、他人の従者の生首を持ち去ったりと、マフィア顔負けのバイオレンスぶりなのだ。
 本書を読んで初めて知ったのは “武家貴族”という存在。武家貴族は朝廷の武官として宮中の警護をしたり貴族の護衛についていた。また、地方では盗賊の取り締まりや、税を都に運ぶ際にその守りについていた。そんな中で次第に力を持つようになったのは、天皇の子孫の源氏と平氏だったという。藤原氏が衰退し武士の時代へと動き出していく流れも分かって面白い。
 もうひとつ、「刀伊(とい)の入寇」という事件もこの本で初めて知った。
歴史の表舞台にはあまり出てこないが、日本は朝鮮半島にあった新羅・高麗といった国の海賊からたびたび侵略行為を受けていた。1019年、謎の船団約50隻が日本海対馬海峡に現れ、対馬に上陸して島民36名を殺害、島民346名を連れ去ると言う事件が起こる。その後、船団は壱岐に上陸して同じく島民を殺害したり連れ去ったりという行為を行い、これを聞きつけた藤原隆家は直ちに朝廷に報告すると共に援軍を求める書状を送る。しかし朝廷は「ただの海賊が北九州で暴れているだけ」としか認識せず、何の対策もしてくれなかった。
藤原隆家は大宰府だけで何とかするしかないと兵を招集するが苦戦を強いられ、推定400人以上の住民が殺害され、千数百人もの人々が連れ去られてしまう。そして船団はとうとう博多湾に侵入。しかし藤原隆家は地元の豪族達と協力して連合軍を作り船団とその一味を撃破、大勝利を収めた。その後の調査で、謎の船団の正体は中国の北東部に住んでいた女真族(じょしんぞく)である事が判明、その女真族が朝鮮半島で刀伊(とい)と呼ばれていた事から、この事件は「刀伊の入寇」と言われるようになったという。
日本が初めて外国に攻められたのは鎌倉時代の元寇だとばかり思っていたので、こんなに昔から侵略行為を受け、それを撃破していたというのは驚きだった。
 他にも個人的に興味深かったのが花山(かざん)法皇という人物。
第63代・冷泉天皇の第一皇子として生まれ、17歳で即位した人物だが、即位式では「冠が重い」と言って怒ったり、清涼殿の庭で馬を乗り回して周囲を困らせたりと、とにかく奇行が多い。女性スキャンダルも多く、皇后・?子(よしこ)を非常に愛していながら、翌年、彼女がお腹に赤ちゃんを宿したまま亡くなってしまうと、突然行方不明になり、即日出家という一大事を起こす。これは藤原兼家・道兼親子の策略だったそうだが、わずか2年で退位し法皇となった後も欲望のままに女性に手を出し、母方の叔母、乳母とその娘を妊娠させたりしている。
そして、とうとう藤原伊周(これちか)に、女性絡みのトラブルから衣の袖を矢で射られるという事件を引き起こしてしまう。花山法皇が崩御した後も隠し子の姫君が何者かに殺害され路上に放置、野犬に食い荒らされた無残な遺体が発見されるというショッキングな事件が起こっている。天皇家の性的スキャンダルや貴族社会の権力闘争などが絡み合い真相は現在も分かっていない。
しかし一方で、花山天皇は和歌や絵画・建築・工芸などに非凡な才能を発揮し、彼が仏道修行中に巡礼した場所は、今も西国三十三箇所巡礼として継承されるくらいの法力を身につけたと言われている。また、あの有名な安倍晴明が仕えた天皇でもある(朱雀帝から一条天皇まで6代の天皇に仕えていた)。
 他にも貴族の前妻(の従者)が、新しい妻の屋敷に殴り込んで打ち壊すのは珍しいことではなかったとか、寺社の本家が分社に信者を取られた際、本家が分社に殴り込みをかけていたという話も紹介されている。石清水八幡(本家)と山科八幡(分社)の例が挙げられているが、僧兵が存在していた理由もよく分かった。
 源氏物語ファンには夢を打ち砕かれるような内容ばかりだが、そもそも現在のイメージは後の人間が勝手に作り上げたもので、当事者たちに責任はない。政争や陰謀、嫉妬が渦巻く時代を生きた当時の貴族たちは人間臭く、パワフルでバイオレンス。こうした逸話を読むと、ひとりひとりに血が通い、生き生きと動き始めるようで興味が尽きない。確かに暴力沙汰は良くないが、貴族たちの野心と本音に正直すぎるほど正直な姿はとても魅力的だ。

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