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本:多くを教えてくれる

日本の文化はこんなにも豊かだった


「忘れられた日本人」 宮本 常一(1907〜1981)






日本を代表する民俗学者、宮本常一は1907年、山口県の瀬戸内海の周防大島に生まれた。民俗学というとまず、柳田国男・折口信夫の両大家を思い浮かべるが、自らの見聞と体験を中心に、日本人の根底に流れるものを探り続けたという点では、宮本はこの両大家をはるかに凌いでいる。とにかく日本中を歩きに歩いた人であった。
宮本が73年の生涯において訪れた村の数は3000を超え、合計16万キロ(地球約4周)をほとんど自分の足で歩き続けた。そして、その旅が著作の裏付けとなっている。
戦前から高度成長期まで各地を現地調査し続け(日本全国、宮本が踏んでいない地はないと言われる)、宮本を物心両面から支えたパトロンの渋沢敬三が、彼の業績を称して言った「日本の白地図の上に宮本くんの足跡を赤インクで印していったら、日本列島は真っ赤になる」という言葉は非常に有名である。
また、作家・司馬遼太郎をして「箸一本で2000年の歴史を語ることが出来るバケモノ」と敬服させた宮本は、農山漁村にこそ日本の土台があり、そこに暮らす人々の中には忘れてはならない知恵が潜んでいるという信念を持っていた。そんな宮本が調査の対象とする人たちは、文盲(文字を読めない人たち)がほとんどであった。彼は、訪れた村の人々の生活を良くするためにはどうすればよいかを常に考え、その活動は広く営農、営林指導にまで及んでいた。村の周囲を歩けば忽ち村の歴史を言い当て、畑の作物を見ればどのような肥料で育てているかが分かる人だった。農業経営や技術指導などの助力を惜しまなかった宮本は、多くの人たちに愛され、彼の“とろかすような笑顔”に出会った人たちは、心が安らいで旧知の友に語るような口調で自分の思い出話を語ったそうである。
彼の書いた文章を読むと、その行間から村人たちへの愛情が溢れ出ていることが良く分かる。宮本常一が愛した村人たちの生き様からは、時間がゆっくりと流れ、人間が限られた人生を懸命に生きようとしていた時代の生の濃密さ、その日その日を誠実に生きた人たちの足跡を感じ取ることが出来る。そして、昔の人々が決して不自由で苦しい生活をしていた訳ではない(むしろ現代の我々より恵まれていたかもしれない)という事が分かるのである。

宮本常一の代表作「忘れられた日本人」は1959年雑誌に発表され、翌1960年に単行本として発売された。本書には、九州北部や四国などの村人が登場し、生い立ちや習俗を語っている。昔の日本は貧しくとも素朴で心が豊か、性に放縦だと言われているが、そういった事がリアルに感じ取れる。夜這いや子売り、子譲り、山の民との関わり、芸人、盗人宿などのアンダーグラウンド的な話も紹介されている。
中でも「土佐源氏」という章は、そのあまりの面白さに発表された当時は創作説が囁かれ、宮本常一はそれに対してノートを見せて憤ったと言われている。
他にも四国の山中で見聞きした話には、天狗や狼などにまつわる非常に興味深い内容が書かれている。

私が特に感銘を受けたのは「寄りあい」という章だ。
著者が対馬の村で目にした寄りあいの情景について書かれたものだが、この地方では何かを取り決める場合には、全員が納得するまで何日でも話し合うという内容だ。まず初めに一同が集まって区長からの話を聞くと、それぞれの地域組で話し合って区長のところへその結論を持っていく。もし折り合いがつかねばまた自分のグループへ戻って話し合う。ときには泊りがけ、弁当持参で語り、あるものはちょっと家に帰ってまた戻り、対等に語り合い、時間をかけて結論を出していく。眠たくなり、言う事がなくなれば帰ってもよい。結論が出るまでそれが続けられる。これは、とても無駄なように感じてしまうが、このようにすると後々もめることが少ないそうである。
現代人はとかく無駄を省くために何でも多数決で決めようとする。しかし、そうして出た結論はしこりを残すことが多い。昔の日本人は多数決で決めるような乱暴なことをせず、全員が納得するまで話し合っていたという事実は驚きである。なんという素晴らしい文化だろう。著者の幼少時の話で、ある寄り合いに連れて行かれていた時、声高に語り続ける男が居て、皆が困惑していると古老が一言「足元をみて物をいいなされ」と言うと黙った、という挿話も印象的だ。

あとがきの中で宮本はこのような事を書いている。
「これらの文章ははじめ、伝承者としての老人の姿を描いて見たいと思って書きはじめたのであるが、途中から、いま老人になっている人々が、その若い時代にどのような環境の中をどのように生きて来たかを描いて見ようと思うようになった。それは単なる回顧としてでなく、現在につながる問題として、老人たちのはたして来た役割を考えて見たくなったからである。(中略)一つの時代にあっても、地域によっていろいろの差があり、それをまた先進と後進という形で簡単に割り切ってはいけないのではなかろうか。またわれわれは、ともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向がつよい。それで一種の悲痛感を持ちたがるものだが、御本人たちの立場や考え方に立って見ることも必要ではないかと思う。」
また、宮本常一は亡くなる3年前に次のように書いている。
「私は長い間歩き続けてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。(中略)その長い道程の中で考え続けた一つは、いったい進歩とは何であろうか。発展とは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。(中略)進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけでなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向わしめつつあるのではないかと思うことがある。進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、我々に課せられている、最も重要な課題ではないかと思う。」

確かに私たちは、先祖代々受け継いできた素晴らしい伝承の数々を“資本主義的思想”の中で見失ってきた。それは、まぎれもない事実だろう。
便利さや快適さばかりを追い求め、ゆったりと流れる時の移ろいや、人と語り合う時間の大切さをないがしろにしているのかもしれない。
しかし、日本人は困難に直面した時に助け合い、譲り合う精神を忘れてはいないと私は確信している。確かに昔の人のような暮らしの知恵は知らない。だからといって、日本人としての良き資質まで失ってしまった訳ではない。過去に襲った飢饉や災害、戦争から何度も立ち直って来たのは日本人なのだ。老人の持つ智恵と、若者の持つパワーを合わせて、誰もが暮らしやすい世界を作っていくことは充分可能だ。本当の豊かさとは、決して物質だけで計れるものではなく、人の心も物質だけで満たされることはない。情報に流されず、自分の目と心で本質を見極めようとする智恵を持っている人がたくさんいることを信じている。そして、こんなにも懐の深い国に生まれたことを幸せに思う。


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