本:多くを教えてくれる

人はなぜ呪うのか

「呪いと日本人」

小松和彦



 一般的に知られている日本史には登場しない歴史の裏側。その中にはしばしば呪いという言葉が登場する。本書では、歴史的な事件の背後にあった呪いや神道・仏教の闇の部分をはじめ、現代に残っている呪いの伝承について興味深いエピソードが展開されている。
著者の小松和彦氏は文化人類学者、民俗学者で口承文芸論・妖怪論・シャーマニズ・民間信仰などを研究している人物。本書は“どうして人は呪術に惹かれるのか”という疑問を近代的なコミュニケーション論という視点から考察した斬新な1冊である。
 呪いや怨霊というとオカルト的な好奇の対象になりがちだが、人類史を紐解いていくと呪術は人類の文明社会誕生とほぼ同時に世界各地で発祥している。ある者は権力を手に入れるために政敵を呪い、ある者は病気を癒すために呪文を唱えた。現代でも呪いは形を変え根強く残っている。代表的なのは藁人形を使う丑の刻参りだが、もっと一般的なものには受験生の前で「落ちる」「滑る」などの忌み言葉を使わない習慣や、4や9のつく部屋番号を作らないなど多くの例がある。
 日本史に登場する人物で怨霊として有名なのは「菅原道真」「平将門」「崇徳天皇」だろう。この3人は日本の3大怨霊と呼ばれている。他にも長屋王(ながやのおおきみ)や早良(さわら)親王など、政治的に非業の死を遂げ怨霊になったと言われている人物は奈良・平安・鎌倉時代に御霊 (ごりょう) として盛んに信仰された。御霊信仰とは、政争に敗れたり、反乱に失敗したりして命を落とした人を神として丁重に祀り、その魂を鎮めることで怨霊が引き起こす災いを封じるという考えから怨霊を神格化したもの。これら怨霊に対する恐れは、当時国が大きく動いてしまうほど強いものだった。
 呪術が技術として公に認められるようになったのは6世紀。典薬寮(てんやくりょう)という役所が誕生し、正式な役所として成立してから。典薬寮は医療・薬を専門とする役所であり、その目的は病気の治療・治癒だった。ただし、当時は物の怪に取り憑かれたり、怨霊の祟りも病気だと考えられていたので呪術も有効な治療法だと考えられていた。そのプロフェッショナルが呪禁師(じゅごんし)と呼ばれる人たちだったのだ。
その後、人の命を救えるのなら、逆に命を絶つこともできるだろうと考える者が現れ、政敵の排除や個人的な恨みによる依頼が増えた。その結果、呪いを依頼した者は今度は自分が狙われるのではと疑心暗鬼になり呪禁道は恐怖の対象になっていった。実際、呪詛返しも盛んに行われていたようだ。その後、典薬寮が政争に敗れたこともあり、呪禁道は廃止される。
 次に台頭してきたのが陰陽道だ。
陰陽師は宇宙の異変を察知し、災厄を回避することが本来の仕事だった。平安時代は華やかな国風文化・貴族文化が栄えた時代だが、同時に災害や疫病の流行が繰り返し起こった不安な時代でもあった。医学や科学が未発達の時代、次々に起こる災いに畏れおののいた人々は陰陽師の力で守ってもらおうと考えた。
陰陽師は陰謀を防ぐための呪詛返しや暗殺を国家保全の一端として行っていたので、次第に個人の依頼も引き受けるようになる。しかし、陰陽師は国家公務員のような立場なので犯罪に加担するような呪術は使わない。そこで登場したのが闇の陰陽師と呼ばれる人々だ。彼らの正体はもと陰陽師や呪禁師、僧侶であり無認可でも呪いのプロであることに違いはなかった。この闇の陰陽師たちが政敵呪殺など公に出来ない仕事を行っていたという。
 その後、空海と最澄によって中国からもたらされた密教が台頭するようになる。陰陽道に比べてスケールが大きく奥行きの深い知識を持つ密教には『調伏(ちょうぶく)法』や『降伏(ごうぶく)法』と呼ばれる呪いの手法も多く含まれていた。 さまざまなバリエーションを持つ密教の調伏法は病気平癒や延命法、怨敵調伏などさまざまな修法による呪術効果をアピールし、現代にまで引き継がれている。戊辰戦争の際、明治維新政府が反抗を続ける東北諸藩を調伏するよう命じたことはよく知られているし、第二次世界大戦でも軍の命令によって日本のほとんどの寺院や大社で「鬼畜米英」に対する調伏が行われた。
ただし、こうした呪術のスペシャリストは天皇や貴族、権力者の専属だった。民衆を相手にしていた呪術師たちは権力者から危険視され、しばしば弾圧を受けた。
 そうした弾圧を受けながら今もなお呪いの文化が受け継がれているということは、それだけ恨みを抱いた人間、そして呪いをかけられている人間が存在しているということだ。そう考えると少し背中が寒くなる気がする。
どんなに科学が発達しても、呪いは人間のすぐ身近に存在し続けている。きっと、この世に人間が存在する限り、呪いもまた形を変えながら存在し続けるのだろう。
理屈では説明がつかない災いが立て続け起きた時、原因不明の病に悩まされた時、もしかしたら何かの呪いが原因かもしれないと考えてお祓いをしてもらうという行為は一種の治療なので問題ない。しかし、嫉妬や恨み、権力欲からライバルに呪いをかける人も確かに存在している。そういう人間の業の深さ、根っこにあるドロドロとした感情は古代人も現代人も大して変わらないのだろう。ただ、作者も言っているように心の中で飽和状態になったどす黒い感情を浄化する手段として呪いを使う場合、それは一概に悪だとは言い切れない。呪いは心の暴走を止める文化装置としての面も持っているのだ。
呪いの文化史はまだまだ研究途上だそうだが、もっと多くの史料が研究されれば、歴史上の人物たちが何に悩み、どんな価値観で生活していたのかリアルに知ることが出来るかもしれない。そう考えると非常に興味深いジャンルである。
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