本:多くを教えてくれる

自分だけの耽美な楽園に生き、破滅した男の物語

「 さかしま」    ジョリス=カルル・ユイスマンス
(1848~ 1907)
澁澤龍彦/訳



自然主義から神秘主義的な作風へと転じ、様々な作品を残したフランスの作家、ユイスマンスが1884年に発表し、デカダンの教科書とされた物語。 澁澤龍彦が翻訳した作品の中で一番気に入っていたと言うので興味を持ったのだが、なるほど、かなり奇妙な作品である。

30歳過ぎの青年、フロルッサンス・デ・ゼッサントは、フランス貴族の末裔である。 彼は、近親交配を繰り返したため劣弱化した体質を持った一族の、わずかな生き残りだ。主な登場人物は、このデ・ゼッサントのみである。物語はとてつもなく限定的に、淡々と進んで行く。

デ・ゼッサントは遺産を食い潰しながら世俗の考えうる放蕩をすべてこなした神経症的・精神病的で芸術家肌の人物。彼は俗世間の汚さ、愚かさに耐えられない。そこでフォントネーという場所にある豪邸に移り住み、隠居生活を送ることを決意する。 莫大なお金をつぎこんで自分の好みにかなう絵画や宝石、刺繍などを世界中から集め、外からの光を遮断して、まったくの人工的な世界を築き上げた。光沢のある東洋の絨毯を引き立たせるために部屋で飼っていた亀の甲羅に宝石をちりばめた金の鎧を着せたり、村の子供たちがパンの奪い合いをしているのを見て、自分も食べたくなって召使いに買いに行かせたり、大好きなボードレールやマラルメの詩を自分好みの紙に印刷し直し、豪華な表紙をつけてこの世にたった1冊しかない自分だけの本を作ったり、たくさんの香水を使い分け、匂いと視覚を結びつけて空想の自然の中で遊んだり、様々なお酒の味に音階をつけて、自分の心の中でシンフォニーを奏でて楽しんだりと、贅の限りを尽くす。 彼は自然よりも人工物が勝っていると考え、ギュスターヴ・モローやルドンの絵画、奇怪で美しい植物の造花、凝ったつくりの巨大な水族館まで豪邸内に作り、独り幻想に浸る。 にもかかわらず、やがてデ・ゼッサントは憂鬱に陥り、体調も崩して心身共にボロボロになり、自分が創り上げたユートピアでの生活を楽しむことができくなってしまうのだ。

この物語に描かれているのは偏屈で恐ろしく博学なデ・ゼッサントのこだわりから生まれた室内の間取りや装飾、壁の色の組み合わせに対するうんちくや、棚に積まれた文学書、その本たちのどこが好きでどういう作品や作者が嫌いなのか、また、部屋に飾る植物への屈折したこだわりなどである。人工物を愛し続けた彼が求める植物は「贋物の花を模した(かのような)自然の花」だ。壁にかける絵画の趣味、どんな画集を持っていてどんなところが好きなのか(彼はモローなどの幻想的な絵やキリスト教のあらゆる拷問を描いた画集、それからゴヤの悪魔的で恐ろしげな絵を好んでいる)という記述が延々と続く。 興味深いのは、デ・ゼッサントが本物の花よりも造花の方が美しいと感じる感性を持っていることだ。そして究極の花は、ただ本物の花に似せた造花ではなく、贋の花を模した自然の花であることだ。 「さかしま」という言葉はさかさまと同義で、この物語では“道理に背く”という意味で使われているようだが、こうしたデ・ゼッサントの嗜好の逆転ぶりも「さかしま」なのかな、と思わされる。 全てのものに病的なこだわりを見せるデ・ゼッサントは、興味を失うのも早い。花は萎れ、亀は死んでしまう。召使いに買いに行かせたパンも結局食べないし、神経症が進むと、自分で決めた壁の色もうっとうしく感じる。寝室に飾った残酷な版画にも刺激を感じなくなり、ついに医者の勧めでパリに戻ることになる。

作者であるジョリス=カルル・ユイスマンス は生涯の大半を内務省属官に在職のまま文筆活動を続けたというが、主人公の病的な気むずかしさは、ある程度ユイスマンスを代弁しているのだろう。 デ・ゼッサントにとって、自分の生きているブルジョア社会のつまらない虚栄心や儀礼、キリスト教の教義における狡知や屁理屈など、あらゆるものが苛立ちの対象である。だから彼は世俗を拒否し、ひたすら人工的な理想郷に逃避しようとする。 彼には文学作品や絵画の中にしか安らぎがない。社交界や文学仲間の集まりに顔を出しても、誰とも友だちにはなれなかった。唯一気を許せたのは娼婦たちだが、そんな遊びにもやがて飽きてしまう。貧乏人に哀れみを持ち、金持ちを軽蔑している。結局、彼のような人間はアウトサイダーとして生きるしかないのだ。しかし、そうなるには彼の精神は弱すぎた。 デ・ゼッサントの作り上げた理想が崩壊した時はとても残念に思えたが、結局のところ彼が築き上げた楽園は、孤独な牢獄でしかなかったのかもしれない。

デカダンスとは一般に衰退・退廃を意味するフランス語であるが、卑俗な日常を否定して、ひたすら人工楽園で耽美的な生活を送る主人公デ・ゼッサントは、当時のデカダン派青年の憧れを一身に体現し、彼の愛読するボードレール、マラルメ、ベルレーヌの存在を世に周知させたという。現代でも、デ・ゼッサント的な生活に憧れる人は大勢いるだろう。もし、このような作品が現代に書かれていたとしたら、その結末は全く違ったものになるのではないだろうか。 この作品の面白さは“風変わりな趣味人がどんな暮らしをしているのか覗き見る”ような感覚なのだろう。そしてデ・ゼッサントに共感する人たちは、彼のように趣味に満ちた楽園を築きたいと空想し、自分だけの楽園を夢見て楽しむのである。
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