本:多くを教えてくれる

恐怖心からは豊かさも優しさも生まれない

「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」

    森達也



 ストレートなタイトルに惹かれて手に取った1冊。
作者の森達也氏は、オウム真理教や放送禁止歌、死刑問題、ドキュメンタリー論など様々なテーマを取り上げてきたドキュメンタリー番組のディレクター、映画監督、ノンフィクション作家。
本書は、著者が感じた“異物を排除しようとする今の日本”に対する疑問と危惧が綴られたエッセイである。
 オウム事件以降の日本、9・11以後のアメリカ、どちらの国でも動機が分からない残虐な事件が起こった場合、その容疑者への憎悪だけを人々が共有し、恐怖心と不安感からマイノリティを排除しようとする傾向になっていると著者は言う。そして、それは非常に危険だと警鐘を鳴らしている。
 「ひとつだけ、今言えるとしたら、オウムの信者のほとんどが善良で穏やかで純粋であるように、ナチスドイツもイラクのバース党幹部も北朝鮮の特殊工作隊員たちも、きっと皆、同じように善良で優しい人たちなのだと僕は確信している。でもそんな人たちが組織を作ったとき、何かが停止して何かが暴走する。その結果、優しく穏やかなままで彼らは限りなく残虐になれるのだ。でもこれは彼らだけの問題じゃない。共同体に帰属しないことには生きてゆけない人類が、宿命的に内在しているリスクなのだと思っている。つまり僕らにもそのリスクはあるのです。」
 犯罪者も我々も同じ存在であるという意識を持ち、彼らに対して想像力を働かせることは決して簡単ではない。しかし、メディアの報道をまるごと信じ、全てを“正義”と“悪”の二元論でしか考えられないこともまた危険なのだ。
自分の“正義”を絶対視する人たちの集団は、異質な物をとにかく排除しようとする。自分の“正義”に反する他者は“敵”になる。そう考えると“正義”ほど恐ろしいものはないのかもしれない。著者が言うように「どんな人間も、優しく穏やかなままで、限りなく残虐になれる」のだ。
しかし、著者は矛盾を正そうと主張している訳ではない。私たちが抱えている矛盾について自覚的でいようと訴えているだけだ。
「だけど最小限度の麻痺も実は必要だ。犠牲になる他の生命にいちいち感情移入していては、たぶん誰も生の営みを続けられない。沿岸に打ち上げられた鯨の救出劇をテレビで眺めながら、僕らはフライドチキンを頬張ったりしている。それを否定はしない。でも矛盾だよなあと苦笑するくらいの自覚は欲しい。麻痺しながらも、麻痺する自己に対して自覚を持つことはできる。確かに麻痺しきってしまったほうが楽だけど、でもせめて矛盾に対しての葛藤と自覚くらいは、僕は持ち続けたいと思っている。」
 「世界はそんなに薄くない。そんなに単純ではない。人はそもそも矛盾と曖昧さを抱えたものだ。だからこそこの世界は豊かなのだ。」と。
共同体の問題、他者への想像力の欠如、そして事件を面白おかしく煽るメディア。
敵(異質なもの)は徹底的に排除すれば世の中は安心だ、という考え方しか持てなくなると人間の思考は停止し、組織は暴走してしまう。情報をそのまま信じることは時として非常に危険だと気づくことが大切なのだ。
 著者は「増殖する憎悪」の中でも“うすっぺらく、紙のようにすぐ燃え上がる正義”が横行する昨今の世相を憂いている。その原因を、震災後に顕著になった“人とつながりたい”という欲求が集団化を促進し、集団が大きく力を持つにつれてルールに従わない個人を徹底して排除する方向に向かっていると分析し、“同調圧力”というキーワードを提示している。
「空気を読む」や「出る杭は叩かれる」という言葉からも分かるように、日本人はこの同調圧力に非常に敏感だ。
 協調性重視の社会、平均値を何よりも気にする日本人。それが悪いというのではなく、そうした自分たちの性質に気づいていなければならない。
「組織や共同体がいちばん円滑に進むのは、白黒を分けて敵をつくることです。組織の内側にいる人間にとっては、それがラクなんです。その構造にはまってしまうと、なかなか抜けられない。そのベースにあるのは、恐怖感、不安感です。組織から外れた人を攻撃するのは気持ちいいし、それによって内側にいる人の帰属感、安心感を高めている。そうすると、安心感を保つためには、常に敵を探し続けることになる。」この真理をいつも心に留めておくべきだろう。
 私のような平凡な一民間人が国家や国民性について何か言うのは分不相応かもしれない。
それでも、この本を読んで日常生活の中で自分が感じる違和感はきちんと自覚しておくべきだと思った。違和感を覚えるということは、やはりそこに“不自然なもの”“意図的に歪められた何か”が潜んでいる可能性もある。地道ではあるが、日常の中で一人ひとりがほんの少し勇気を持ってそんな違和感に対処すれば、少しずつ何かが変わるかもしれない。
 考えても明確な答えなんて出ない問題が世の中にはたくさんある。それでも自分の頭で考えること、そして他者への想像力を失わないことを止めてはいけない。考え方が硬直しないためにも。
多角的な視野と考え方を持つ事によって、情報に振り回されない自己、平均値を気にせず生きられる強さを持つことが出来れば、少し楽に呼吸できるようになるのではないだろうか。
そんな事を考えさせられた1冊だった。

本トップ