本:多くを教えてくれる

“見えない” ことによって“見えてくる”もの

「白の闇」

    ジョゼ・サラマーゴ



 1998年、ポルトガル語圏の作家として初めてノーベル文学賞を受賞したジョゼ・サラマーゴの代表作。サラマーゴは受賞当時すでに76歳。この「白の闇」は、1万部売れればベストセラーと言われるポルトガルで10万部を売り切ったという。
交差点で信号待ちをしている車の列。その先頭の車を運転していた男の目が突然見えなくなり、パニックに陥る所から物語は始まる。
夫の異変に驚いた妻が眼科医院に連れて行き、男は眼科医の診察を受けるが、全く異常が見つからない。しかし、その数時間後に眼科医も、医院の受付や待合室にいた人間も、次々に失明してしまう。最初に失明した男の妻も含め、彼と接触した人々に失明が伝染している事を、眼科医は厚生省に報告する。
それはミルクの海へ落ちたように人々の目から白以外の色が消える病気で、原因不明のまま感染は広がっていく。政府はかつての精神病院を収容所にして、患者の隔離を始める。なぜかただ一人失明していない眼科医の妻は、夫と離れることを懸念し、自分も失明したと偽って夫と隔離施設で生活することを選択する。この唯一目が見える医者の妻が主人公である。
病院は軍隊によって監視され、逃げ出す者は射殺されてゆく。兵士たちは感染の恐怖に怯え、収容者で膨れあがった施設内は秩序が崩壊、醜い人間の暗部が剥き出しになっていく。
汚物にまみれた施設内は足の踏み場もなく、軍隊によって搬入されているはずの食糧は何者かに隠匿され、収容者は飢餓に陥っていく。食糧を横領していたのは首領一味で、銃で武装し恐怖と暴力で施設内を支配しようとする。首領一味は食べ物が欲しければ、金品を差し出せ、さもなければ女を差し出せと迫る。
そんな中、唯一目の見える医者の妻は、首領一味と戦う事を決意する。果たして理性と秩序が崩壊した世界に希望はあるのか?

 本作でまず特徴的なのは、登場人物に名前がついていない事だろう。「医者の妻」「最初に失明した男」「黒い眼帯の老人」といった具合に書かれているだけだ。全てがまっ白な闇の世界では、名前も顔も意味を持たないのだ。
また、セリフに「」を使わず、句点もないので慣れるのに時間がかかる。読みにくさはないが、この流れるような語り口が、よりいっそう人々が理性を失っていく過程をリアルに感じさせる。
ラストでは、世界が汚濁に染まりきってしまった後、唐突に病気からの回復が暗示されるが、これは決して希望に満ちた終わり方ではないだろう。
ただ一人、荒廃した世界を見ていた医者の妻。
人間の理性が壊れていく様をただ見続けなくてはならなかった彼女の号泣は、安堵や喜びだけではないはずだ。彼女一人が知ってしまった、人間の醜悪な本性。その記憶は、彼女の中の何かを大きく変えてしまっただろう。それでも、その記憶を一人で抱えたまま再び文明社会を築き直さなければならないのだ。
彼女の涙は、変わってしまった自分自身への諦念とやり切れなさでもあるように思える。人間には、見えないからこそ耐えられるという状況もあるのかもしれない。

 人間は情報を得るための8割を視覚に頼っていると何かで読んだことがあるが、その視覚がある日突然奪われる恐怖というのは、ある程度想像できる。しかし“他人からの視線”が抑制力にもなっているという事は、本書を読むまで全く気づいていなかった。
もし“他人からの視線”が全くなくなったら、人はどうなるのだろうか?“見えない”“見られない”ことによって露わになる人間の醜い本性を、サラマーゴは冷徹に描き出している。
視覚を失って初めて、文明社会が幻でしかない事が“見えて”くるのだ。文化的で理性的な生活のためには“見る”“見られる”という事が大前提である事に改めて気づかされた。

サラマーゴはこの物語を着想した時、レストランで食事をしていて「もしわれわれ全員が失明したらどうなる?」という問いが、「無意識の淵」から忽然と浮かんできたのだという。このひらめきは、「実際には、われわれはみな盲目ではないか」というサラマーゴ自身の回答を引き出した。そこから、本書の着想が始まったという。
本書は「ナイロビの蜂」のフェルナンド・メイレレス監督によって「ブラインドネス」というタイトルで映画化もされている。
サラマーゴは「映画は想像力を破壊する」という理由で、映画化の話を頑として拒否し続けたという。しかし、カナダ人プロデューサーのニヴ・フィッチマンが長期にわたってサラマーゴを説得し、ようやく権利を得てメイレレスに監督を依頼したそうだ。ちなみに主人公の医者の妻はジュリアン・ムーアが演じ、最初に失明する男を伊勢谷友介、その妻を木村佳乃が演じている。
目が見えていても、ある意味では“盲目”と言える人々が現実にも存在する。「白の闇」は、私たちが今生きている世界の縮図なのだ。そう考えると、自分が見ているものが本当に正しいのか不安に思えてくる。本作は単なるパニック物とは一線を画し、読後に様々なことを考えさせられる奥の深い作品である。
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