本:多くを教えてくれる

屍者が労働力として不可欠な、もうひとつの19世紀

「屍者の帝国」

    伊藤 計劃/円城 塔



 SF界を担う旗手として活躍を期待されながら2009年、肺癌により34歳の若さで世を去った伊藤計劃。20代で癌が見つかった伊藤は入退院を繰り返しており、病室のベッドで執筆することもあったという。彼の作家生活はわずか2年。その間に発表した長編はデビュー作の「虐殺器官」と「ハーモニー」の2作のみである。「ハーモニー」は伊藤の死後(2009年)第30回日本SF大賞を受賞、2010年には同作の英訳版が出版され、アメリカでフィリップ・K・ディック記念賞の特別賞を受賞した。
 この「屍者の帝国」は、プロローグの30枚だけが遺された未完の長編だった。それを生前親交があった円城塔が書き繋いで完成させた。 2012年に「道化師の蝶」で芥川賞を受賞した円城の作品は難解なことで有名だが、本書は伊藤が残したあらすじに基づいていることから、SFに詳しくない読者でも充分楽しめる作品に仕上がっている。
  とはいえ、確かに難解な箇所もあるので、円城カラーの強い作品という印象は否めない。伊藤計劃の文章で最後まで読みたかったという意見が多いというのも頷ける。しかし、いくら親交があったとはいえ、30枚のプロローグとA4の紙に書かれたメモだけを元に他人の作品を書き繋ぐというのは大変な作業だっただろう。完成までに費やした年月は3年4か月。全体の3分の1程まで書かれた原稿を自らボツにしたこともあったという逸話からも、これが途方もない作業だったことが伺い知れる。
 全体はプロローグ・第一部・第二部・第三部・エピローグの五部構成になっており、本書のタイトルにある“屍者”とは、作中でフランケンシュタイン博士の理論を元にして蘇った死者たちを指している。“フランケンシュタインの技術が19世紀に普及していたら”という設定のもと、主人公たちが人類の運命を賭けて戦う、というのが簡単な筋書きだ。
  物語の舞台は、ヴィクター・フランケンシュタインが屍体蘇生技術を確立し、その後革新を重ね、屍体が文明国の産業を支える労働力として不可欠な存在となったもうひとつの19世紀。 主人公のワトソンは、フライデーという記述用の屍者や冒険家のバーナビー大尉と共に、最初の屍者を生み出したフランケンシュタイン博士が遺した文書「ヴィクターの手記」を追ってロンドン、インド、アフガニスタン、日本、アメリカを旅して回る。
 その旅の途中で、フランケンシュタイン博士が創造した最初の屍者“ザ・ワン”が現在も生存していることを知る。ザ・ワンは蘇生後、広大な知性を獲得し、「ヴィクターの手記」を独自に研究していた。ワトソンは、ザ・ワンがヴィクターの手記の全てを解明すると人類を滅ぼすかもしれないという危機感を抱き、その行方を追うが…。
  この作品は、異世界の空想小説ではなく、現実の歴史が織り交ぜられている。大英帝国をはじめ列強各国が海外に進出し、植民地拡大を国策としていた歴史的事実が背景にある。また、カラマーゾフ、バロウズ、ナイチンゲール、ダーウィンなど多くの実在した人物が登場する。それに加え、ワトソンなど他作品のキャラクターも登場するので、歴史・文学的知識の豊富な人はよりいっそう楽しめるだろう。
 一方で、当時はまだ確立されていなかったコンピューター技術が、小説の中ではあるレベルまで確立されている事になっており、その技術が屍体蘇生技術を支えている。ソフトをインストールすると軍事用にも作業用にも家庭用にも使用可能な屍者が至る所に溢れている世界。情報技術も進んでいて、巨大な電算機で全世界に通信網を構築している。
 面白いのは、私たちが自分の意思だと思っているものは、人間の体内でのみ活性化する菌株の活動が見せる幻である、という設定だ。不都合なことがあれば脳のシステムを上書きして更新するという技術などは、本当に近い将来実用化されていても不思議ではない恐ろしさがある。
 最後は、記録する屍者として、ワトソンの傍らでこの事件をずっと書き記してきたフライデーのモノローグで幕を閉じる。フライデーの独白に、こんな一文がある『ぼくにはまだ、あなたに言い残していることがたくさんある。このぼくを物語として、物語を通じて生み出したのはあなただ。今ぼくは、物質化した情報としてここにある。ぼくが今こうして存在するのは、あなたのおかげだ。ほんの三年に満たない旅にすぎなかったが、かけがえのない、得がたい日々をあなたと過ごした。その旅がぼくをこうして形作った。あなたの物語をつなぐ手伝いを上手くできたか甚だ心許ないが、収支はまだ先のこととしてもらえればありがたい。』
 これは、明らかに円城塔が伊藤計劃へ宛てたメッセージだろう。フライデーという語り手を通して“他者の物語を語るとはどのようなことか”を考えさせられる構成は、伊藤の物語を語り継ぐ意味を円城が語った“物語についての物語”の側面もあると言えるのではないだろうか。 入院中「両足がなくなってもいいから、僕はあと二十年、三十年生きたい。書きたいことがまだいっぱいある」と母親に訴えたという伊藤計劃。そんな彼の遺志を受け継ぎ、素晴らしい作品に昇華させたという意味でも、これは稀有な共著と言えるのではないだろうか。

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