本:多くを教えてくれる
人としての生き方、大人としての在り方を説いた講演集

「私の個人主義」 
夏目漱石(1867〜1916)






 夏目漱石と言えば、名前と顔と代表作を知らない人はまずいないであろうという大文豪である。
本書は、その夏目漱石が明治末期〜大正初期にかけて各地で行った講演をまとめたもので、「道楽と職業」、「現代日本の開化」、「中味と形式」、「文芸と道徳」、「私の個人主義」の5つが収録されている。
どちらかというとお堅いイメージの夏目漱石だが、軽妙かつユーモアあふれる語り口からは作品とはまた違った一面がうかがえて面白い。しかし、講演の内容はどれも真摯で先見性の鋭いものばかり。約100年前に行われた講演とは思えないような話ばかりである。
中でも一番心に残ったのは題名にもなっている「私の個人主義」だ。この講演は大正3年(1941年)学習院同窓会で行われたもので、当時の夏目漱石は47歳であった。3年後に49歳で他界しているので、まさに晩年の貴重な講演と言えるだろう。
夏目漱石は帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。漱石は、英文学を研究して文学とは何かを極めようとした。まともに睡眠も取らず、食うや食わずの生活をして一心不乱に勉強した結果、神経衰弱になってしまう。しかしある時、これまでやってきた文学は西洋人の借り物であったことに気づく。そして「自己本位」という独自の文学観を打ち建てる。留学して、文学というものは自分で作り上げていかなければいけない、そして「自己本位」の考え方に至ったという自らの半生を語った上で、漱石はこう言っている。
『私の経験したような煩悶があなたがたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定しているのですが、どうでしょうか。(中略)ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか。すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申し上げるのです。もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏潰すまで進まなければ駄目ですよ。―もっとも進んだってどう進んで好いか解らないのだから、何かにぶつかる所まで行くよりほかに仕方がないのです。私は忠告がましい事をあなたがたに強いる気はまるでありませんが、それが将来あなたがたの幸福の一つになるかも知れないと思うと黙っていられなくなるのです。』
そして、こうも語っている。
『しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。それが必要でかつ正しい事としか私には見えません。 (中略)自分が他から自由を享有している限り、他にも同程度の自由を与えて、同等に取り扱わなければならん事と信ずるよりほかに仕方がないのです。近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。(中略)いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。我々は他が自己の幸福のために、己れの個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害してはならないのであります。』
『金力についても同じ事であります。私の考によると、責任を解しない金力家は、世の中にあってならないものなのです。(中略)自分は今これだけの富の所有者であるが、それをこういう方面にこう使えば、こういう結果になるし、ああいう社会にああ用いればああいう影響があると呑み込むだけの見識を養成するばかりでなく、その見識に応じて、責任をもってわが富を所置しなければ、世の中にすまないと云うのです。いな自分自身にもすむまいというのです。』
『今までの論旨をかい摘んでみると、第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重じなければならないという事。つまりこの三カ条に帰着するのであります。』
個人主義の意味を取り違えている人が多い現代、この漱石の言葉は本当に貴重だ。
現代でも誤った認識をされがちな個人主義・自己本位という考え方を、漱石は見事に解説している。そして、権力や金力をみだりに振り回すことは、これ以上ない卑しいことと強く非難し、権力・金力を行使する者の心の在り方を説いた。
しかし、その後の日本は漱石が危惧していた通りの道を進んできたとしか思えない。物やお金が幸せを叶える象徴になり、高度消費社会の中でみんなが自分勝手に生きるようになってしまった。人を学歴や地位、持ち物でしか判断できなくなり、表層的なものを他人と比べることで優越感を持とうとしてきた。義務や責任という言葉が重苦しいものとしか捉えられなくなってしまった。
しかし、個人主義と利己主義は全く別物である。個人は自由にふるまってもいいが、それには必ず“義務”が伴うものであり、自由に行動するには“徳”が必要なのだ。それを忘れてしまった大人のいかに多いことか。
余談になるが、文部省から漱石に文学博士の学位を授与するという話があった時のこと。漱石は学位を辞退し、こう述べた。
『自分は今日までただの夏目なにがしとして世を渡ってきたし、これから先もやはりただの夏目なにがしで暮らしたい希望をもっております。』
彼の学位辞退は新聞でも話題になり、世間でもいろいろな意見があったようだ。ある講演で、漱石は博士号を辞退した時のことを語った。すると、会場から拍手が沸き起こった。その時漱石はこう言い切った。
『手を叩いたって駄目です。現に博士という名にごまかされているのだから駄目です。いくら手を叩いたって仕方がない。』
拍手した人たちは漱石が文部省を相手に闘い、学位を辞退したことを痛快に感じているだけだ。漱石の批判は、内実のない権威をありがたがる世間一般にも向けられていたのだ。だから漱石は聴衆に自分の問題として話を聞くよう迫ったのである。
本書は、全文を紹介したいぐらい本当に素晴らしい内容なのだが、そういう訳にもいかないので、最後にもう一文だけ好きな箇所を紹介したい。
『人は国に頼らず個人道徳を磨くことによってのみ良き人生を送れます。自分の幸福のために自分の個性を発展して行くことが大切です。私のここに述べる個人主義は、他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬する考えです。もっと分かりやすく言えば、党派心がなく、理非がある主義なのです。だからその裏には人に知られない淋しさも潜んでいるのです。
我は我の行くべき道を勝手に行くだけで、それと同時に他人の行くべき道を妨げられないのだから、ある時ある場合には人間がバラバラにならなければなりません。そこが淋しいのです。』
そして漱石はこんな言葉で講演会をまとめている。
『もし私の意味に不明のところがあるとすれば、それは私の言い方が足りないか、悪いかだろうと思います。もし曖昧な点があるなら、私の自宅までおいで下さい。いつでもできるだけ説明するつもりですから。』
100年前に生まれて直に漱石の講演を聞いてみたかったとしみじみ思ってしまうほど、漱石の温かい人柄がよく現れている。
この講演集は、読む人・読む時によって、心に響く箇所がそれぞれ違うと思う。しかし、落ち込んだ時に勇気をくれる1冊であり、人間としての正しい在り方を諭してくれる教科書であることは間違いない。また、こうした漱石の人柄や思想を知った上で彼の作品を読むと、その物語に込められたテーマがより深く理解できるようになるのではないだろうか。
あらゆる価値観が混沌とし始めた現代こそ、もう1度漱石の思想に立ち返ってみる必要があると切に感じる。全ての人にぜひ読んでもらいたい1冊である。


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