本:多くを教えてくれる

人と人ならぬものが織りなす妖しく美しい物語

「天守物語」

泉鏡花




 幻想的な作品で知られる泉鏡花作品の中でも名作とされる『天守物語』。
鏡花は19歳で小説家として出発し、明治・大正・昭和にわたって、三百篇以上の小説を書いているが、その大半を怪異談が占めている。人間の住む世界と妖怪の住む世界が曖昧になっていく幻想的な作品が多いが、本作もそんな鏡花ワールドを堪能できる。繊細な文体と小気味良いテンポ、舞台を意識した演出が鏡花ならではの幽玄な世界を作り上げている。幻想的で怪しい物語は、現在も舞台をはじめ、歌舞伎や映画、オペラなどで多くのファンを魅了している。
しかし、鏡花の幻想文学は当時文壇の主流であった自然主義文学とは相容れず、異端文学として文壇からは孤立していたという。そんな鏡花が1917年(大正6年)、44歳で発表した戯曲が『天守物語』である。『天守物語』について鏡花は「この戯曲を上演してもらえたら、こちらが費用を負担してもよい」という主旨の発言をしているが、生前には舞台化されず戦後(昭和26年)になってようやく新派公演で初演された。
 姫路城には、刑部姫(長壁姫/おさかべひめ)と呼ばれる妖怪が大天守に隠れ住んでいたという伝説がある。鏡花は、この伝説にその他の怪異譚を巧みに織り交ぜ、美しい異界の住人と人間との恋物語を描いた。
舞台は「不詳。ただし封建時代─晩秋」の「播州姫路。白鷺城の天守、第五重」。
一体の青い獅子頭が据え置かれている天守の最上階に、富姫という稀代の美女(異界の住人)が眷属を従えて住んでいた。獅子頭は、以前は群鷺山の地主宮にあったもので、二代前の当主が鷹狩りに出た際、貴婦人の一行を見かけ、お宮に追いこみ手篭めにしようとしたのだが、その貴婦人は舌を噛んで自害してしまう。獅子頭はその貴婦人の血を舐め、涙を流したと伝えられていた。その後、毎年洪水が起こったため貴婦人の祟りだと噂されたが、怖いもの知らずの当主は「洪水を起こすならここまで届かせてみよ」と、獅子頭を天守の最上階に置いた。それ以来、天守には様々な怪異が起こるようになり、城内の者は誰一人として近付こうとしなくなった。
 「ここは何処の細道じゃ、天神様の細道じゃ」という手鞠唄とともに物語は始まる。主人の富姫はどこかに出かけていて不在。そして五人の美しい侍女たちが天守から釣り糸を垂れている。今宵は富姫の友・猪苗代の城の亀姫がやってくるというので、侍女たちは白露を釣竿の先につけて秋の草花を釣っているのだ。秋草を釣る侍女たちは、桔梗、萩、葛、女郎花、撫子という秋の七草の名前。まるで花々の化身が戯れているような美しい光景だ。
草釣りは急な土砂降りによって中断され、やがて富姫が蓑(みの)をかぶって天守に戻ってくる。富姫は城の播磨守が今日は鷹狩りに出ていて騒がしいので、はるばるやってくる亀姫の邪魔にならぬよう夜叉ヶ池の白雪姫に雨を降らせてもらうように頼みに行っていたという。夜叉ヶ池とは『天守物語』より4年早く発表された鏡花の作品で、その主人公・白雪を富姫の妹分という設定でさり気なく再登場させている。
そうしているうちに亀姫の一行が到着する。亀姫は土産に持参した男の生首を披露する。それは白鷺城の城主・播磨守の兄弟で、猪苗代亀ヶ城の城主・武田衛門之介の首だった。ゆりこぼいて汁が出た(=血だらけ)首を、「むさや」と言いながら三尺ばかりの長い舌で舐めて清める舌長姥(したながうば)という妖怪が、途中から「うまや」と口走ってしまう場面は、笑いを誘いながらも、この物語が妖怪奇譚であることを再確認させられる。心ゆくまで手鞠で遊んだ亀姫が帰ろうとするところへ、城主・播磨守が鷹狩りから戻ってくる。
亀姫が播磨守自慢の白鷹をすっかり気に入った様子を見て富姫は白鷺に化けて羽ばたき、それに釣られて飛んで来た白鷹を捕らえて亀姫に進呈する。
 日も暮れ、富姫が一人獅子頭の前に佇んでいると、灯りを手に播磨守の鷹匠・姫川図書之助(ずしょのすけ)が誰も登ってこない天守にやって来る。白鷹を逃がしたために切腹させられるところだったが、皆が恐れて登ろうとしない天守に白鷹を捜しに行けば一命を助けると言われたと語る。富姫は凛々しい図書之助を一目で気に入ったが、天守へ登ってくる者は生きて返さない掟なので、二度とここへ来てはいけないと諭して帰す。しかし、三階まで降りた図書之助は灯りを大蝙蝠に消されてしまい、真っ暗な中で階段を踏み外しては武士として面目がたたないと考え、引き返して富姫に火をわけて欲しいと頼む。
富姫は理不尽な主従関係に縛られている図書之助を帰したくないと思う。富姫の気持ちを聞いた図書之助は迷うが、やはり地上に戻ることを選ぶ。富姫は自分に出会った証拠として播磨守秘蔵の兜を渡す。
しかし、図書之助は兜を盗んだという疑いをかけられ殺されそうになる。無実の罪で殺されるくらいなら、姫の手にかかって死にたいと三度天守に現れる図書之助。富姫は図書之助に共に生きようと言い、獅子頭の中へ隠れるのだが…。
 もともと舌を噛んで自害した人妻である富姫は、人間世界の醜さを嘆く。「鷹には鷹の世界があり、さわやかな空があり、それを人間の持ちものとするような、思い上がった行き過ぎな人間の世界、世間へなど帰るな、殿さまの代わりに私の心を差し上げる、命を差し上げる」と、図書之助を強く引き止めるのだ。
武力や権力を誇示し強者が弱者を支配する人間の残酷さ、それに比べて妖怪の方が純粋なものとして描かれているのは、鏡花が超自然的な怪異を好んでいたからだろう。天守から地上の人間を見下ろす富姫の元に登って行く図書之助は、異界の妖しい美しさに惑わされた者だ。それは、異界と人間界の境界に魅了されていた鏡花の姿とも重なる。
 姫路城天守閣に住む刑部姫は城主しか見ることができず、一年に一度しか姿を現さないと言われ、姫が消えると城も滅びるため現在も大天守の最上階中央に祀られている。平成の大修理を終え、連日多くの観光客が訪れる姫路城。そんな現代の人間たちを姫は今もどこかで眺めているのだろうか。そんな想像を膨らませてしまうほど『天守物語』は美しく魅力的な物語である。
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