映画:忘れられない一瞬がある

「尼僧ヨアンナ」
Matka Joanna od Aniol&óacute;w


人間の本質に隠された善と悪とは




 この作品は、17世紀にフランスの小都市ルーダンの修道院で実際に起きた ルーダンの悪魔憑き事件 を基に、ポーランドの作家ヤロスワフ・イヴァシュキェヴィッチが書いた短編小説「天使たちの教母」を映画化したものである。ウィリアム・フリードキン監督の「エクソシスト」も本作に強く影響を受けたと言われている。監督はポーランドでアンジェイ・ワイダとともに巨匠として知られるイエジー・カヴァレロヴィッチ、撮影は「灰とダイヤモンド」のイエジー・ヴイチック。1961年度に、カンヌ映画祭審査員特別賞を受賞している。
 舞台は17世紀、ポーランドの辺境にある修道院。院長を勤める清楚で美しいヨアンナ(ルツィーナ・ヴィンニツカ)に悪魔が乗り移り、その悪影響で修道女たちにも悪魔が憑いて踊り狂うなど奇行が横行しているという。とくにヨアンナには、いくつもの悪魔が住み着き、どんな悪魔祓いの儀式も功を奏さない。そんな異常事態を見かねた教会が調査のためにガルニエツ神父を現地に派遣する。しかし、ガルニエツ神父はヨアンナと肉体関係に陥っていた事が発覚。誘惑に負けたガルニエツ神父は火刑に処される。そして、新たに後釜としてスーリン神父(ミェチスワフ・ヴォイト)が修道院に派遣される。 物語は、悪魔払いにやってきたスーリン神父が宿で祈りを捧げているシーンから始まる。
 不安でいっぱいのスーリン神父が修道院で会ったヨアンナは、魅力的な瞳を持った淑やかな女性だった。しかし、悪魔が乗り移ると野獣のように唸り、呪いの言葉を吐き、他の修道女とともに荒れ狂う。最初は教理に則って悪魔祓いの儀式を行うスーリン神父だったが、全く効き目がないことを悟ると、密室でヨアンナと一対一の対決を試みる。そして次第にヨアンナの心の奥底に潜む苦しみ、真実の声を知る。スーリン神父は自らの身を賭して悪魔と対峙することを決心し、命を賭けて戦いを挑む。ヨアンナを聖女に戻すためにスーリン神父が取った行動とは…?
 悪魔払いというと、どうしても「エクソシスト」のイメージが強いが、この作品には直接的な怖さはない。モノクロの映像が暗示的な不気味さを増幅させて、むしろ 見えない怖さ を上手く演出している。ヨアンナが悪魔のような声音で、汚い言葉を吐く場面などはあるが、特殊撮影で悪魔に取り憑かれた尼僧の首が回ったり、緑色のゲロを吐いたりするようなシーンはないので、過激な描写が苦手な方もご安心を。(ブリッジはしているが)
 この作品はキリスト教の二元論的な葛藤が描かれているので、日本人には分かりづらい部分もあるが、基本的には人間の 聖 と 俗 とは何なのか?という問いかけであると思う。宗教者にとっては前者が善、後者が悪だ。そして、人間が堕落するのは悪魔の仕業だとされる。しかし、欲望を持たない人間などいないし、男女の間に愛という感情が芽生えるのも極めて自然な事だろう。それを 忌まわしい堕落 として閉ざされた修道院の中で禁欲的に生活していれば、そりゃ精神的に歪むのも無理はないと思われる。人間としてごく当たり前の本能や欲求を押さえつけ過ぎることが 悪魔 という存在を呼び起こしてしまうのではないだろうか。 聖 の象徴としての尼僧院が建つ丘の下に、 俗 の象徴としての木賃宿がある。そして、その中間にはガルニエツ神父が火刑にされた処刑場がある。この構図もまた意味深だ。
 そして、注目すべきなのが、頻繁に木賃宿に通い世俗の楽しみを存分に享受していた尼僧の存在である。この尼僧だけは悪魔に取り憑かれないのだ。遊び呆けては、申し訳程度に日々のお勤めをこなして誤魔化している彼女だけが悪魔を寄せ付けない。 また、ユダヤ教のラビとスーリン神父との問答も、この作品の重要なテーマとなっている。男女の恋愛を堕落と決めつける古めかしい宗教観に疑問を投げかける本作は、欲望の抑圧をテーマにした優れた心理劇であるとも言える。人間は理性ですべてをコントロール出来るつもりでいても、結局は本能の欲求に勝てない生き物なのだ。そして、己の欲望に正直な者に悪魔が取り憑く事はない。こうした既成の宗教観を覆すような内容に加え、極端なクローズアップや、ズームインを多用したカメラワークも斬新である。また、この作品は役者が正面を向いて(観客を見ながら)喋るシーンが多い。それぞれの人物を正面から捉えたショットに切り替わりながら会話が進むのだが、これが圧迫感と不安を増幅させる。監督は、観客を傍観者でなく映画の中に引き込むことを意図していたそうだが、このショットが頻出するのも、この作品の不気味な印象を強めていると言えるだろう。
 そして何よりも本作の魅力は、まるで現代美術のような美しい映像の数々だ。荒野の真ん中にポツリと建つ白い修道院、悪魔が白亜の壁につける血の手形。礼拝堂の床に、腕を広げてバタバタと倒れる尼僧たち。幾何学模様を随所に配した構成の美しさと、絶妙なカメラワーク。奥行きのあるモノクロ映像による神秘的で重厚な雰囲気には感嘆させられる。特にタイトルクレジットは秀逸。また、ヨアンナ演じるルツィーナ・ヴィンニツカの演技力には、ただただ脱帽。突然悪魔が現れるシーンの表情など、心底怖い。
 現代の我々から見れば、彼女たちの奇行は感情の抑圧・暗示による集団ヒステリーと解釈できる。しかし、そこに信仰というテーマが絡むと、そう単純な解釈では済まされないように思える。恐怖と刺激だけを追求するハリウッド映画と違って、安易に解釈できない所もポーランド映画らしいと言うべきか。 人間の精神に潜む本質的な悪とは何なのか、改めて考えさせられる作品である。

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