映画:忘れられない一瞬がある

「その土曜日、7時58分」
Before the Devil Knows You're Dead


巨匠が最期に遺した名作




 「十二人の怒れる男」「セルピコ」「オリエント急行殺人事件」「狼たちの午後」「評決」など、半世紀以上にわたって映画を撮り続けてきた巨匠、シドニー・ルメット。人間ドラマやサスペンスの秀作を作り続けて来た彼が84歳にして撮りあげたのが本作だ。ルメット監督は2011年4月9日にリンパ腫で亡くなったため、この作品が遺作となっている。
 物語はいきなり激しい濡れ場から始まり、そしてニューヨーク郊外の小さな宝石店の強盗シーンへと移る。銃を突きつけ女性店員を脅しながら、次々と宝石を袋に詰めていく男。強盗の隙をついて女性店員が男に発砲し、男も撃ち返す。この銃声を聞いて、車で待っていた共犯者の男が慌てて逃げ出す。この逃げ出した男がイーサン・ホーク演じるハンクだ。ハンクは「ちくしょう!アンディのせいだ!!」と叫ぶ。そこで時間軸は遡り、なぜ強盗が起こったのかといういきさつが兄のアンディと弟のハンク、それぞれの視点で展開される。この作品は、犯行が行われた土曜日の7時58分を中心に、事件発生前・事件当日・事件後と時間軸をずらしながら真実が明かされていくという手法になっている。この時間軸がばらばらに展開するという手法は、特に目新しいものではないが、先の読めないサスペンス的展開にぐいぐい引き込まれる演出・構成はシドニー・ルメット監督の力量によるものだと言えるだろう。
 アンディとハンクの兄弟は、金に困っていた。美しい妻とマンハッタンの高層マンションに住むエリート会計士である兄・アンディ(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、実は麻薬に溺れ、会社の金を横領している。一方弟のハンク(イーサン・ホーク)は善良だが、娘の遠足代も払えない借金まみれの気弱な男で、離婚した妻から娘の養育費を督促されている。アンディは、近々会社に国税局の監査が入ることを知って危機感を募らせていた。金の工面に行き詰まったアンディは、ハンクを巻き込み、両親が経営する宝石店を襲う計画を立てる。 両親がいない土曜日の朝、パート店員に任せている時間を狙って侵入し、オモチャの銃で脅かして金と宝石を奪う。犯行は数分で終わり、誰も死なない。店は保険に入っているから実害もない。奪った宝石は故買屋に売って金に換える…万事うまく行くはずだった。しかし、この狂言強盗計画を、ハンクは見ず知らずの男・ボビーに依頼してしまう。その上、自分は実名で車を借り、ボビーの家まで迎えに行って同居人にしっかり顔を見られる始末。
 そして、ついに決行日。その土曜日、7時58分。アンディとハンクは強盗が失敗に終わっただけでなく店に出ていたのが母親で、撃たれて危篤状態になっているという事実を知って愕然とする。その後の展開は誤算に次ぐ誤算、一つの失敗がドミノ倒しのように連鎖し、予想もしない結末へと運命を導いてゆく。
 後半は、父親の視点からの時間軸も加わり、予想外の結末に向かってサスペンス性を強めていく。国税局の調査が進む中、次第に明らかになっていくアンディの横領。死亡した母親の葬儀に参列中のアンディに、説明のために出社しろと会社から再三にわたり電話がかかって来る。それを無視し続けるアンディ。さらに死亡した共犯者ボビーの義兄から1万ドルを脅迫され、どんどん追い詰められていく。そんな中、父親のチャールズ(アルバート・フィニー)は、事件に疑問を抱き独自に調査を始める。そして、真実を知ってしまったチャールズは…。
 この作品で描かれているのは、強盗事件という犯罪だけでなく、一家が背負う闇だ。人格者を装ったアンディの心の闇。それに引きずられていく弟の弱さ。そして父と兄、兄と弟の確執。兄弟の悪事を知った父親の心境。そしてアンディの妻の秘密。この複雑に絡みあった一家の確執は、現実社会でもありえるようなリアリティがあり、その解決が不可能に近いことを観る側は思い知らされる。それがズシッと胸にこたえる。主人公の兄弟をはじめ、この家族が抱えていた歪んだ関係。彼らは、お互いを心の底から憎んでいた訳ではないが、長い年月の中で少しずつ増幅した軋轢やコンプレックスが、後戻りできない悲劇を生んでしまった。家族という、最も身近で最も微妙な人間関係を主軸に据えた本作は、サスペンスの緊張感だけでなく、濃密過ぎるほどの人間模様まで見事に描き切っている。
 原題の Before the Devil Knows You're Dead は、アイルランドの諺からとったもので、「早く天国に行けますように。死んだのが悪魔に気付かれる前に」という意味らしい。この印象に残る言葉はどういう意味なのか。その答えは結末で明かされる。冒頭のメッセージと結末が繋がり、この悲劇は避けられない運命であったかのように感じられる。
 そして、ベテラン俳優陣の演技もさすが。アカデミー俳優、フィリップ・シーモア・ホフマンは冷静さとヒステリックさという、二面性を持った複雑な人物を見事に演じ、作品に異様な緊張感をもたらしているし、イーサン・ホークのダメ弟っぷりも素晴らしい。オロオロする情けないシーンなど、この手の役をやらせたらピカイチのはまり役だ。そして、父親役を演じたアルバート・フィニーの全体を引き締める見事な存在感。キャスティングが映画にとっていかに重要か、ということがよく分かる一作でもある。
 シドニー・ルメット監督は低迷した時期もあったが、本作では骨太で重厚な演出、優れた人間ドラマなど、彼本来の実力を遺憾なく発揮している。この作品は、映画監督が見事に有終の美を飾った遺作という意味でも、これ以上ないくらいの名作と言えるだろう。

映画トップ