映画:忘れられない一瞬がある

「草原の実験」
ISPYTANIE



一切のセリフを排した抒情詩のような作品




 ロシアの新鋭アレクサンドル・コット監督が旧ソ連で実際に起きた出来事にインスパイアされて作り上げたという本作は、第27回東京国際映画祭コンペティション部門で2冠、世界の映画祭で数多くの賞を受賞している注目作である。監督はロシア映画を代度する巨匠・タルコフスキーへのオマージュとして遺作「サクリファイス」に出てくる〝一本の木〟を本作に登場させている。また、映画を構成する上で重要な表現方法であるセリフを一切排除し、映像だけでストーリーを伝るという〝実験〟を本作で試みたという。
 広大な草原の中で、一本の木に見守られるかのように建っている小さな家。父親と娘がこの家で暮らしている。灯りはランプ、水は井戸、炊事は薪。電気の代わりにトラックのバッテリーを繋げてラジオを聴くのが近代的な娯楽だ。少女は毎朝どこかへ出かけていく父親を途中までトラックで送り、毎日同じ場所でトラックを降りる。そこに幼なじみの少年が馬で迎えに来る。この繰り返しが彼らの日常だった。
ある日、一台のバスがエンストして青い瞳の青年がバケツを持ってやって来る。この青年もまた、美しい彼女に恋をする。3人のほのかな三角関係。しかし、そんな穏やかな生活に不穏な影が迫ってくる…。
 この作品にはセリフが一切ない。しかし、完全なサイレント映画という訳ではなく風の音や虫の羽音、水が流れる音などの自然音、靴音やトラックのエンジン音、そして音楽は挿入されている。時代や場所も明示されず、なぜ母親がいないのか、父親は何の仕事をしているのかも説明されないので、観客は映像の中から自分でその情報を探すしかない。実際、セリフがなくても映像が多くのことを雄弁に語りかけてくる。どこまでも地平線が続く草原の中にポツンと建つ一軒家、その家を見守るように立っている一本の木、太陽が沈み朝日が昇るシーンを360度見渡せる圧倒的な風景、夕陽が落ちて空のトーンが変化していく美しさ、暗闇の中で光る稲妻などを様々なアングルで映し出す構成は美しい映像作品のようですらある。父親が仕事に行っている間、少女は木の葉っぱをスクラップしたり世界地図を眺めて過ごしている。そして帰宅した父親がそのまま寝込んでしまうと、父親の靴を脱がせて足を洗う。父親は無骨な風貌をしているがお茶目なところもあり、少女はそんな父親を微笑んで見ている。彼らの日常は穏やかに繰り返していた。しかし、美しい描写の中に得体の知れない不安を感じさせるカットが少しずつ織り込まれる。それは夕焼けで赤く染まる顔や暗い色をした水を延々と写すシーンだったりするのだが、不安感すらも美しい映像で表現してしまう監督の類い稀な才能には感服してしまう。
 父親や幼なじみの少年、少年の家族など登場人物も、まるで現地の人間がそのまま出演しているのではないかと思うような風貌と存在感だ。そして何よりも素晴らしいのが、少女役を演じたエレーナ・アンの美しさ!1998年モスクワ生まれのエレーナ・アンは、韓国人の父とロシア人の母の間に生まれ、撮影当時は14歳だったという。演技経験は一切なかったにもかかわらず、監督の目にとまり、主役に大抜擢された。少女でもなければ大人でもない、微妙な年齢の女性だけが持つ雰囲気と、一度観ると忘れられない眼差しで、この作品の世界観を決定づけている。終盤、少女が三つ編みにしていた長い髪を自分で切るシーンも印象的。短くなった髪で夜空を見つめる彼女からは、運命に抵抗し、自分で何かを選択したいという強い意志が感じ取れる。
 オープニングで映し出される、羽毛が散乱した地面の先に小さいテーブルがある映像は、最後まで見るとその意味が分かる。そして結末を知ってもう一度観ると、このシーンをオープニングに選んだ監督の意図とその恐ろしさに絶句してしまう。絵のように美しい自然の風景、穏やかで素朴な日常に隠された真実はあまりにも禍々しい。完膚無きまでに叩きのめすようなラスト数秒。それは怒りや悲しみすら入り込む余地がないほど強烈だ。そして淡々と紡がれてきた、つつましく穏やかな日常がいかにかけがえのないものであるかを思い知らされる。圧倒的な破壊すら美しく描かれた本作は、文明がもたらす不条理という普遍的なテーマを寓話的な物語に仕立てている。何も語られないので、観客は昇ることのないまま沈んでいく太陽の意味するもの、現実の残酷さについて自分で考えるより他にない。あまりにも美しい映像とあまりにも衝撃的なラストに後頭部をガツンと殴られたような気分になる作品。タイトルが示す〝実験〟とは何か、ぜひ自分の目で確かめてみて欲しい。

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