映画:忘れられない一瞬がある

「偽りなき者」
JAGTEN



いつ誰の身に起こっても不思議ではない恐ろしさ




 突然ですが、もしあなたの住んでいる町で幼稚園の男性職員が園児に性的虐待をするという事件が起こったら、あなたはどうしますか?子どもを持つ人なら、その人物に対する怒り、嫌悪を露わにし、厳罰を望むだろう。私もそうだ。法で裁かれた後もずっと社会的制裁を受ければいいと思うし、性犯罪は再犯率が高いから性犯罪者の情報は一般人に全て開示して欲しいとすら思う。そこでその人物が冤罪なのでは?女の子が嘘をついているのでは?と考える人間がどのぐらいいるだろうか。この作品は、幼稚園に通う女の子がちょっとした嘘をついたことから人生を狂わされてしまった男性の物語だ。
 舞台はクリスマスを間近に控えたデンマークのとある町。42歳のルーカス(マッツ・ミケルセン)は、勤めていた学校の閉鎖による失業や離婚を乗り越え幼稚園の先生として再就職し、猟友会の仲間や愛犬と共に穏やかに暮らしていた。ルーカスの親友テオの夫婦は言い争いが多く、その日も朝から大声で怒鳴り合っている。いたたまれず外で座っているクララと幼稚園まで一緒に行くルーカス。クララは、そんな優しいルーカスに恋心を抱いている。クララには年上の兄がいて、思春期の兄は性的な写真をクララに見せたり卑猥な言葉を使ったりするが、両親はそれを知らない。ある日、幼稚園の教室で遊んでいる時にクララからキスをされたルーカスは、そういう事はしない方がいいと注意する。クララはルーカスへの淡い恋心を拒絶されたことに傷つき、園長に「ルーカスにいたずらされた」とも取れる発
言をしてしまう。事態を重く見た園長は調査員を呼ぶ。調査員の誘導尋問に意味も分からないまま頷くクララ。園長から連絡を受けたルーカスは、きちんと調べてくれれば無実である事が分かるだろうと思い、自宅待機に同意する。しかしルーカスの知らないうちに疑惑は真実となり、噂はあっという間に小さな町中に広がる。さらに複数の子どもたちがルーカスから性的虐待を受けたと言い出し、警察に逮捕されてしまう。仕事を失い孤立するルーカスに対し、住人たちの攻撃はエスカレートしていく。自分の嘘が大騒ぎを引き起こしていることに戸惑ったクララが本当は何もなかったと母親に告げるが、母親は「つらい記憶を忘れたいのね」とクララを抱き締めるだけだった。ルーカスの無実を信じるのは、息子のマルクスと彼の名付け親であるブルーンら数人の仲間だけ。結局、警察の捜査で子供達の証言に矛盾が見つかりルーカスは釈放される。しかし、無実が認められても町の人たちはルーカスを信じない。スーパーでは出入り禁止を告げられ、集団暴行を受け、家の窓を割られ、飼い犬は殺されてしまう。そしてルーカスの忍耐は限界を超えた。クリスマスの夜、教会で激しくテオに詰め寄り無実を訴えるルーカス。テオはルーカスが嘘をつくとき視線が定まらないことを知っていた。テオの目を真っ直ぐ見つめるルーカスの態度から、ようやくクララの嘘に気づくのだった。そして月日が過ぎ、マルクスの成人を祝うためにルーカスは仲間達と集まっていた。笑いながら握手をし、挨拶をするルーカス。そして狩りに出掛けるのだが…。
 原題の「JAGTEN」と英題の「THE HUNT」の意味は〝狩り〟。そのタイトルの通り、まるで狩りの獲物のように追い詰められていくルーカスの姿は観ていて心が苦しくなる。「子供が嘘をつくはずがない」と決めつけ、ルーカスの言葉を全く信じない大人たち。観ている側はルーカスが無実なのを知っているので、そう言っている大人の方が子供の言葉をきちんと聞いていないという矛盾に気づくが、これがもしルーカスが有罪か冤罪か分からない設定だったらどうだろう?冒頭でも述べたが、性的虐待の疑惑が生じた時点で、火のない所に煙は立たないはず、どこか疑わしい所があるに違いない、と思ってしまうだろう。物語の中で住人たちは自分の行いを正義だと信じ、ルーカスを迫害する。ルーカスは完全に無実で被害者だが、では悪者は誰なのか?と考えると、単純に誰とは言えない。皆が善人であるのに全てが悪い方に解釈され、真実がどんどん見えなくなっていくという状況が恐ろしい。ルーカスの嫌疑が晴れた後、周りの人たちは昔のように笑顔でルーカスと接している。しかし、表面上は和解したように見えても、もし性犯罪が起これば真っ先に疑われるのはルーカスだろう。人々の心の奥底に根付いた疑念は決して消えず、一度標的になった人間は、そこから逃れることが出来ない。ただ真面目に生きてきたはずのルーカスは、この先ずっと怯え続けなくてはならないのだ。ラストシーンは、そんなルーカスの恐怖と絶望を象徴しているように見える。
 この作品の救いは、ルーカスが同じ町で毅然と生きる強さを持っていたことだろう。恥ずべきことは何一つしていない。だから逃げないという態度を貫き、己の尊厳を守る。事件後もクララのことを一切責めず、それまで通りに接する懐の深さ。私は心が狭いので、成長したクララは自分の犯した罪の大きさに気づけ!そして一生かけて罪滅ぼしをしろ!と思ってしまった。どうしようもない怒りをぐっと抑える姿、冤罪と闘う姿を表情や仕草で表現するマッツ・ミケルセンの素晴らしい演技力。テオに詰め寄るシーンの射抜くような眼差しも不謹慎だがカッコイイ。さすが〝北欧の至宝〟と呼ばれるマッツ・ミケルセン。惚れ惚れしてしまう男前ぶりだ。ちなみに本作は第65回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で上映され、マッツ・ミケルセンが男優賞を受賞している。
 実際の社会でも痴漢の冤罪事件やネット上での炎上など、理不尽に攻撃対象にされてしまう事例は数多くある。膨大な情報が飛び交う現代社会では誰もが加害者・被害者のどちらにもなりうる危うさがある。そう考えると、ルーカスの身に起こった不幸は決して絵空事ではない。もし自分が住人の一人だったら、親の立場だったら、そして標的にされてしまう側だったら…と考えずにはいられない脚本と演出。子どもとの関わり方、信頼関係の難しさ、人間の尊厳とは何なのかを考えさせられる作品である。

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