映画:忘れられない一瞬がある

「かくも長き不在」
UNE AUSSI LONGUE ABSENCE



記憶喪失の男と記憶を取り戻したい女。
二人を待ち受けている結末は…




 フランスを代表する女性作家、マルグリット・デュラスの脚本をアンリ・コルピが監督した名作。本作が監督デビュー作となるアンリ・コルピは、アラン・レネ、チャップリン、寺山修司作品などの編集技師としても知られる人物。本作は第14回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞している。
 舞台はパリ北西の郊外、セーヌ川沿いにある小さな町。主人公のテレーズ(アリダ・ヴァリ)はここでカフェを経営している。終戦から15年が経ち、最新式のジュークボックスも備えたテレーズの店は住人たちの憩いの場になっている。マルティーヌという近所の娘を雇い、女店主としてこの店を切り盛りしているテレーズは、長距離トラックの運転手のピエールに、バカンスを一緒に過ごそうと言い寄られている。テレーズの夫はレジスタンスの一員だったため、16年前にゲシュタポに連行され、収容所に送られてから消息不明となり、生死も分からないままだった。
 ある日、最近この辺りに姿を見せるようになったホームレスの男性(ジョルジュ・ウィルソン)が、オペラ「セビリアの理髪師」の曲を口ずさみながらテレーズの店の前を通る。テレーズは、帽子を目深に被って顔が見えないその男性とぶつかりそうになり、初めて男性の顔を見て驚く。夫のアルベールにそっくりだったのだ。翌日、テレーズはマルティーヌに頼んで男を店に呼ぶ。マルティーヌはテレーズに指示された通りビールを勧め、あれこれ質問するが、男は記憶喪失なので自分のことが分からないと話す。店の裏でその様子を見ていたテレーズはショックのあまり倒れ、心配したマルティーヌがカウンターを離れた隙に男は姿を消してしまう。正気を取り戻したテレーズは男を追いかけて一日中セーヌ河岸を歩き、彼が住んでいる小屋を発見する。テレーズはその小屋の前で夜を明かし、翌朝起き出してきた男の様子を見守る。そして、彼女の気持ちは確信に変わる。「彼は私の夫にちがいない」。テレーズは店のジュークボックスに男が口ずさんでいた「セビリアの理髪師」のレコードを入れ、曲をかける。店の前を通りかかった男は、音楽に誘われて店内に入ってくる。テレーズは男にビールを勧め、マルティーヌを帰らせて店を閉めてしまう。店内にはテレーズが呼んでおいた夫の親戚がいて、男の顔をじっと見つめていた。テレーズたちは、男に聞こえるように夫の話をして男の反応を見るが、妙な空気を察した男は何も言わずに店を出ていく。テレーズは小屋を訪ね、「あなたがある人とそっくりだから、時々一緒に食事をして話をしたい」と、男を食事に誘う。男は戸惑いの表情を浮かべるが、そのうち行くと約束する。ずっと店を休業しているテレーズのことを、常連客たちも心配していた。約束通り、男は夕食時に店へやって来る。狭い所が怖いという男のために、テレーズは店のテーブル席に夕食を運ぶ。夫の好きだったレコードを用意したり、好きだった食べ物を出して彼の記憶を取り戻そうとするが、男の記憶は戻らない。そして二人はジュークボックスから流れる「三つの小さな音符」という思い出の曲でワルツを踊る。男の頭を撫でていたテレーズが違和感を感じて正面の壁に掛けてある大きな鏡を見ると、男の後頭部にある大きな手術の痕が映っていた。記憶が戻らないまま「あなたは優しい人だ」と言って帰ろうとする男にテレーズは、夫の名前を叫ぶ。カフェの外にいた常連客たちも男に「アルベール!」と声をかけながら追いかける。その時、男の脳裏にフラッシュ・バックした記憶とは…。
 二人の心が通じ合えないもどかしさ、テレーズが夫の記憶を取り戻そうと必死で努力しても、幸せだった過去の生活は二度と戻らない。戦争で破壊された街並みは復興できても、戦争で傷ついた人の心が癒えることはないのだ。戦争が奪うものの重さが深く心に響く。この作品で印象的なのは、やはり二人がワルツを踊る場面。踊っているうちに男の表情も和らいで、もしや記憶が戻るのでは…と一瞬期待を抱くのだが、鏡に男の後姿を映し出された瞬間、残酷な現実が突きつけられる。ナチスドイツに捕まった彼は、脳外科手術によって人為的に記憶を取り除かれていると分かるショッキングなシーンだ。過去の記憶を失っていても、犬の吠え声やドアの閉まる音、狭い空間に対する恐怖が潜在意識から消えることはない。そして、逃げるように店を飛び出した男がテレーズの友人たちの呼び声に反応した時の行動…彼が戦争で受けた傷の深さを見事に表現したシーンだ。
 夫の記憶を取り戻そうとあらゆる手を尽くすテレーズの一途さ、不安、希望といった感情を抑えた演技で見事に表現したアリダ・ヴァリが素晴らしい。戦後のイタリアを代表する名女優であるアリダ・ヴァリは「第三の男」や「夏の嵐」に出演しているが、代表作はやはりこの作品ではないだろうか。また、舞台俳優のジョルジュ・ウィルソンの演技も素晴らしく、言葉では表せない感情のせめぎ合いを微妙な表情で表現する二人の共演も見どころの一つだ。そして、この作品になくてはならないのが、ジョルジュ・ドルリューの音楽。ジョルジュ・ドルリューは、フランソワ・トリュフォーをはじめジャン=リュック・ゴダール、アラン・レネ、ケン・ラッセル、ベルナルド・ベルトルッチなどの映画音楽を手掛けた巨匠。二人がワルツを踊った「三つの小さな音符」という曲は、この作品の為にジョルジュ・ドルリューが作曲したものである。彼の音楽と、モノクロ映像がとにかく美しく、反戦映画でありながら非常に素晴らしい芸術作品としても鑑賞できる。
 愛した人はもういないのに、本人はそこにいるという悲劇。戦争による「かくも長き不在」は過去、現在、未来まで続くという事を深く訴えかけてくる。声高に戦争を非難することなく、観る者の心に刺さる戦争の悲劇を静かに描いた名作だ。

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