映画:忘れられない一瞬がある

「家族の肖像」
Gruppo di Famiglia in un Interno



巨匠が晩年に描いた老いと孤独




 ルキノ・ヴィスコンティが亡くなる2年前の作品。本作の後に撮られた「イノセント」が彼の遺作となるが、きっとヴィスコンティ自身も死を意識していたのだろう、最後の2作には死の匂いが濃く漂っている。イタリアでも名門の貴族に生まれ、貴族的な映画作家と評されることが多いヴィスコンティ。しかし、自分の生まれた階級に対して葛藤を持っていた彼は、伝統や格式にとらわれる貴族の愚かさも描いている。
 また、バイセクシュアルであることをオープンにしており、アラン・ドロンやヘルムート・バーガーが寵愛されていたことは有名である。本作でコンラッドを演じているヘルムート・バーガーは「ルートヴィヒ」の撮影中、スタッフが近づけないほど激しい叱責と檄を飛ばされたという。ヴィスコンティは私生活でもヘルムートに自分と同じレベルの芸術的感性を求め、ヴィスコンティもまたヘルムートが好む音楽を理解しようとビートルズをランチに招待したりしたという。ヘルムートはヴィスコンティの死後自殺を図ったこともあり、自叙伝には二度とこんなに人を愛せないだろうと綴っている。
 主演は「山猫」のサリーナ公爵を演じたバート・ランカスター。ヴィスコンティはサリーナ公爵役をマーロン・ブランドに演じさせたかったが、スケジュールの都合で無理だった。代わりに配給元の20世紀フォックスから提示されたのがスペンサー・トレイシー、アンソニー・クイン、バート・ランカスターの3人で、ヴィスコンティはバート・ランカスターを選んだ。ニューヨーク体育大学中退で、サーカスの空中アクロバットスター出身のバート・ランカスターは「自分にシチリアの貴族の役ができるのか?」と悩んだが、見事に公爵を演じ切った。この演技にヴィスコンティも満足し「家族の肖像」の教授役にも起用したという。
 「家族の肖像」は「ルートヴィッヒ」撮影中に心臓発作で倒れたヴィスコンティが半身不随の身で撮りあげた。監督の体調もあって舞台は老教授の古い屋敷の中だけというドラマだが、窓から見えるローマの風景すら実は大道具のセットという、完全に作られた世界である。それが教授の閉ざされた内面を表現し、常に裏がある登場人物たちの会話から世の中が映し出される巧みな構成になっている。
 舞台は1970年代のローマ市内にある屋敷。人との関わりを避け、家政婦と静かに暮らしている老教授(バート・ランカスター)の趣味は18世紀イギリスで流行した家族の団欒を描いた絵画を収集することだ。そんな老教授のもとに、伯爵で右翼の大物実業家夫人・ビアンカ(シルヴァーナ・マンガーノ)が訪れ、2階を貸してほしいと強引に要求する。教授は申し出を断るが、ビアンカの娘リエッタの説得により渋々1年間だけ貸すことになる。すると、ビアンカとリエッタだけでなく、リエッタのフィアンセの青年ステファーノ、そして夫人の愛人コンラッド(ヘルムート・バーガー)までやってきて、穏やかな教授の生活は一変してしまう。人嫌いではあるが、繊細で誠実な人柄のせいで彼らに振り回される教授。毅然とした態度を示そうとするが、いつもはぐらかされてしまう。しかし、ある出来事から教授はコンラッドには意外な芸術的感性がある事を知り、コンラッドとの会話に安らぎを見つけるようになる。そして、最初は災厄のように思っていた同居人に対する感情にも変化が起こっていく。教授は、少しずつ本当の家族のような思いを抱くようになった同居人たちを招いて晩餐会を開く。しかし、その席で破綻が起こり、コンラッドの壮絶な死で悲劇的な結末を迎える。生きる望みを失った教授は病床についてしまう…。
 屋敷に図々しく入り込んでくる不道徳だがエネルギーに満ちた若者たち。孤独な老教授は彼らの行為に眉をひそめながらも、それをきっかけに美しかった母親や、結婚が破綻して去って行った妻を思い出し人間らしい感情を取り戻す。
 無作法な同居人に対しても、彼らが家族だと思えば腹は立たない。しかもコンラッドには美術や音楽に深い造詣があった。話の合う相手を見つけた教授はコンラッドに親近感と息子のような愛情を持つようになる。しかし、孤独な生活に訪れた束の間の喜びは、コンラッドの爆死という形で無残な終焉を迎えてしまう。落胆のあまり病に倒れた教授に〝 2つの真実〟を語って去るビアンカとリエッタ。しかし、教授にとっていまさら真実には何の意味もない。無人となった屋敷の二階には何かが棲みつき、教授の耳にその足音が静かにこだまする。足音は教授が言うように 〝 死の足音〟かもしれない。教授がコンラッドを想うあまり聞える幻聴なのかもしれない。しかし、家族愛を求めていた教授にとって偽りであっても死の直前に家族と過ごす経験ができた事は幸せだったように思える。それが悲劇的な結末を迎えたとしても。実生活と作品を重ねてはいけないのだが、老教授とコンラッドとの関係にヘルムート・バーガーに対するヴィスコンティの想いが投影されているように思えて仕方がない。
 家族とは厄介で、迷惑をかけたりかけられたり、鬱陶しく思いながらも失う事ができないもの。そして、家族がいるからといって孤独から逃れることが出来る訳ではない。家族と孤独、相反するように思える2つだが、実は表裏一体なのかもしれない。ヴィスコンティは、この作品で第二次大戦を経験した老教授、資本主義国家打倒を叫ぶコンラッド、その後の物質社会で世間と調和する術を持ったリエッタとステファーノという3世代を登場させることで、家族というテーマの裏側にある歪みまで鋭く指摘し、描ききった。
 巨匠が遺そうとしたものが何なのか、観るたびに人間の業と切なさが深く胸に響く作品である。

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