映画:忘れられない一瞬がある

「汚れた血」
Mauvais Sang


疾走感と映像美に魅せられる名作





 ジャン=リュック・ゴダールの再来 と呼ばれているフランス映画界の異才、レオス・カラックス。  カラックスは1983年、弱冠23歳の時に長編処女作「ボーイ・ミーツ・ガール」でデビュー。「ディーバ」のジャン=ジャック・ベネックスや「サブウェイ」のリュック・ベッソンらと共に フランス映画の恐るべき子供 という言葉で絶賛された。そして、2作目であり、初のカラーフィルム作品である「汚れた血」で、その評価は決定的なものとなった。
 「汚れた血」の後、「ポンヌフの恋人」を撮るが、これら3作は全てドニ・ラヴァンが演じる アレックス という青年による物語であるため、 アレックス3部作 と呼ばれている。  カラックスは25年間で4本しか作品を発表していない映画監督なのだが、それは彼の完璧主義が少なからず影響していると言われている。「ポンヌフの恋人」は、パリの中央にあるポンヌフ橋の使用許可が撮影延期により切れてしまったため、実物と寸分違わぬ橋をセットで再現し、幾度も資金難による撮影中断を余儀なくされながら、フランス映画史上最高額の38億円という巨額の総製作費と3年という歳月を費やして完成にこぎ付けた作品である。本作「汚れた血」も、夜のパリの色彩表現を徹底する為にカメラマンのジャン・イヴ・エスコフィエと緻密なテストを繰り返し行い、そのために大変な準備期間を余儀なくされたという経緯がある。ジャン・イヴ・エスコフィエは、美しさを追求する監督の完璧主義に応えるべく、機材の選択にも尋常でない時間と手間をかけたそうである。
 物語はあと数年で21世紀を迎えようというパリが舞台。彗星が接近しているため、夜でもおそろしく暑い。そして人々は愛のないセックスによって感染する新しい病気「STBO」の蔓延に恐れおののいていた。
 父親を不慮の事故で失った青年アレックス(ドニ・ラヴァン)は、指先が器用なのを利用して、道端でトランプ手品の賭博で小銭を稼いでいる。彼はどこか別の場所で、新しい人生を送りたいという焦燥にかき立てられていた。
 父親の死がきっかけで、アメリカ女の率いるシンジケートから膨大な借金の返済を脅迫されていた父親の友人マルクは、たった一社の製薬会社だけが開発に成功した「STBO」の免疫薬を強奪する計画を立て、アレックスを仲間に誘う。人生を切り替えるため、ガールフレンドのリーズ(ジュリー・デルビー)を捨ててマルクの元へと向かったアレックスは、そこでマルクの情婦アンナ(ジュリエット・ビノシュ)と出逢い、その不思議な魅力に惹かれていくのだが…。
 まず、作品中の「STBO」というウイルスの存在にあまり重要な意味はない。この作品のテーマは、あくまでも3者3様の愛が交錯しすれ違う孤独感、切迫感である。  登場人物に多くを語らせず詩的な言葉と映像を通して表現する作風は、1シーン1シーンがまるで絵画のように美しく、すべての人物が魅力的に演出されている。
 レオス・カラックス作品の登場人物たちが激しく記憶に焼きつけられるのは、ギリギリまで不要な物を剥ぎ取った極限の姿だからなのだろう。
 そして、この作品は 疾走する 映画でもある。デビッド・ボウイの「モダン・ラブ」にのって主人公が疾走する丸々一曲分の横移動長回しシーンをはじめ、印象的なシーンがあふれている。
 漆黒に塗られた背景に鮮やかに浮かぶ赤い色、真っ白な肌の色をカラフルな衣装と小道具で色づけするという色彩感覚にも何かに取り憑かれたかのような狂気すら感じる。レオス・カラックスはまるで自分の魂を削るようにディテールにこだわり抜いたのだろう。
 さらに、登場する女優の美しさも特筆に値する。アンナを演じるのは、当時レオス・カラックスと恋人関係にあったジュリエット・ビノシュ。映画監督が愛する女優のために愛情を注いでいるのがひしひしと伝わってくる美しさだ。(カラックス自身もアンナをのぞき見する変態風の役でカメオ出演している。)
 そして、ジュリエット・ビノシュ以上に素晴らしいジュリー・デルビー。この作品のジュリー・デルビーの透明感には、演技の域を超えた奇跡的なものすら感じる。残念ながらジュリー・デルビーは、レオス・カラックスと馬が合わず、本作以降2度と彼の作品には出ないと決めたそうだ。
 そして、お世辞にもハンサムとは言えないが、個性的で存在感抜群のドニ・ラヴァン。彼の存在なくしてカラックスの分身とも言えるアレックスをここまで強烈に印象づけることは不可能だっただろう。  ジュリエット・ビノシュがラストシーンで疾走しながら暗闇に溶け込んでしまう時、それは無言の、しかし強烈なメッセージを放ち続ける。
 この「汚れた血」は、酷評から手放しの絶賛まで驚くほど評価が分かれている作品だ。しかし、本来の芸術表現とは、そうあるべきなのではないだろうか。まずは空っぽな心でレオス・カラックスの世界を感じてみて欲しい。きっと心に響く 何か を感じることが出来るはずである。

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