映画:忘れられない一瞬がある

「裏切りのサーカス」
Tinker Tailor Soldier Spy


渋い大人のスパイ・サスペンス




  原作はジョン・ル・カレの“スマイリー3部作”の1作目「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」。ル・カレは元・英国諜報局秘密情報部員(MI6)で、ベースとなっているのは、ル・カレが現役だった頃に実際に起こった、MI6幹部による“キム・フィルビー事件”という二重スパイ事件。元本職の作者が実際の事件を元に書いているのだから、徹底的なリアリズムが貫かれているのも納得だ。 監督は「ぼくのエリ 200歳の少女」で世界的に注目を集めたスウェーデン映画界の異才、トーマス・アルフレッドソン。初の英語作品となる本作も、独特の色彩感覚と硬派な演出で極上のスパイ映画に仕上がっている。ル・カレも、「本作は小説の映画化ではない。私の目には本作自体が芸術品に映る。私はこの原作をアルフレッドソンに渡したことを誇りに思っている」と絶賛したという。 タイトルの“サーカス”とは、英国秘密情報部のスラング。ロンドンのケンブリッジ・サーカスにあるのでこう呼ばれている。ちなみにパーティーのシーンで、レーニンサンタが壇上に現れソ連の国歌を歌い始めた直後、右端の老紳士が立ち上がり国歌を歌い出すシーンがあるのだが、この人物がジョン・ル・カレである。 舞台は1973年、東西冷戦の暗く重い雲が世界を覆っていた時代。 サーカスのチーフ、コントロール(ジョン・ハート)は、東側の潜入スパイ“もぐら”を捕えるためハンガリーの将軍の亡命を助け、“もぐら”の正体を突き止めようと画策する。しかし、この亡命話自体がソ連の大物スパイ・カーラの計略で、作戦は無残に失敗。責任を問われたコントロールと腹心のスマイリー(ゲイリー・オールドマン)は情報部を去る。 1年後、再び“もぐら”の存在が問題となるが、コントロールは謎の死を遂げており、スマイリーが政府高官からサーカス内部にいる“もぐら”を探せという非公式任務を与えられる。容疑者はパーシー・アレリン(トビー・ジョーンズ)、ビル・ヘイドン(コリン・ファース)、ロイ・ブランド(キーラン・ハインズ)、トビー・エスタヘイス(デヴィッド・デンシック)という4人のサーカス幹部。 コントロールはそれぞれにコードネームを付けており、パーシーは“ティンカー(鋳掛け屋)”、ビルは、“テイラー(仕立屋)”、ロイは、“ソルジャー(兵隊)”、トビーは、“プアマン(貧乏人)”と、呼ばれていたことが判明する。彼らはコントロール亡き後“ウィッチクラフト作戦”の名の元に、ソ連の情報ソースに接近していた。“ウィッチクラフト作戦”とは、自分たちがKGBの二重スパイのように振る舞い、偽装した情報をKGBに渡してソ連側を撹乱したり、その見返りとしてソ連の機密情報を入手するための作戦である。しかし、この作戦で得られるソ連側の情報は、カーラが仕掛けたものだったのだ。“もぐら”は一体誰なのか。その正体を炙り出すべく行動を開始したスマイリーによって次第に明らかとなっていくその正体とは…。 冒頭、ブタペストのオープンカフェでジム・プリドー(マーク・ストロング)が、現地の情報源と接触するシーンから引き込まれてしまう。カメラを引いての全景ショット、プリドーの表情を微細に映し出すクローズアップ、不気味に張り詰めた周囲の風景…と、せわしなく切り替わっていくカメラワークで緊迫感を盛り上げる。ウェイターが緊張してぽたっと汗をテーブルに落とすシーンなど、細かい演出も秀逸だ。 そして、詳しい人物紹介などは一切ないまま本筋が始まり、登場人物達はコードネーム、ファーストネーム、ファミリーネームの3通りの名前で呼ばれる。現在と過去の時系列がありながらも、服装やメイク等で視覚的な変化を付けることもない。(参考までに、べっ甲フレームをかけているスマイリーが登場したら回想シーン、黒ぶち眼鏡は現在である) カーチェイスや銃撃戦などのアクション要素に一切頼らず、心理戦&頭脳戦が淡々と展開されていくのだが、これが手に汗握るほど面白い。 また、クリエィティブサポートとしてポール・スミスが70年代ロンドンの世界観についてアドバイスをしているという洋服やインテリア、小物なども必見。 初回は筋を追うのに必死で、美術や映像を堪能する余裕がないはずなので、再見するとビジュアル的にも楽しめる。伏線の細かさや意外な繋がりなど、2回目、3回目と観る度に新たな発見がある稀有な作品だ。 「ラ・メール」というシャンソンの名曲とともに盛り上がりを見せるラストシーンも秀逸。最後にジム・プリドーが流す一筋の涙の切なさ。彼の人生もまた、もう一つの人間ドラマを担っていたことを感じさせられる。 ゲイリー・オールドマンの抑えた表情、緊張感のみなぎる演技をはじめ、脇を固める助演陣も英国を代表する渋い面々が揃い踏み。それぞれの役柄を見事に演じている。 現在、“スマイリー3部作”のラストとなる「スマイリーと仲間たち」が続編として制作中とのことなので、こちらの公開も非常に楽しみである。
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