映画:忘れられない一瞬がある

「トゥモロー・ワールド」
CHILDREN OF MEN



絶望した人類を救うものは?




 監督はメキシコ出身のアルフォンソ・キュアロン。2001年にコメディロードムービー「天国の口、終りの楽園。」で国際的な評価を得て「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」の監督に抜擢。2013年の「ゼロ・グラビティ」ではアカデミー賞10部門にノミネートされ、監督賞をはじめ、撮影賞、視覚効果賞など7部門を受賞した注目の監督である。
 作品の冒頭、世界で最も若いディエゴ・リカルドという青年が18歳4ヵ月で世を去ったというニュースが流れ、人々は落胆する。2008年に猛威をふるったインフルエンザで子供の大半が亡くなり、2009年には世界中の妊婦が流産、出生率が0%になるが原因は不明。それから18年後の西暦2027年が物語の舞台だ。人々は希望を失い、秩序が崩壊した世界では内戦やテロが頻発、国家はことごとく壊滅状態にあった。強力な軍隊で国境を守るイギリスだけが何とか秩序を保っている状況だ。しかし、そのイギリスも秩序を保つために移民をシャットアウトし、不法入国者は強制収容所に収監して人間以下の扱いを強いている。平等な取扱いを求める移民たちは〝フィッシュ〟と呼ばれるテロ組織を作って対抗していた。
 主人公のセオ(クライヴ・オーウェン)は、かつて社会活動家だったが、今はエネルギー省に勤める一般市民である。フィッシュの女性リーダーであるジュリアン(ジュリアン・ムーア)と結婚し子供も生まれたが、その子供は死に、ジュリアンとも離婚していた。ある日、セオは武装集団に拉致され、そこでジュリアンと再会する。ジュリアンは、セオに「人類の未来を変える存在であるキー(クレア=ホープ・アシティ)という女性を海岸まで連れていくため政府の通行証を都合して欲しい」と依頼する。今もジュリアンへの想いを断ち切れないでいたセオは、その無謀な依頼を一度は断るが、協力を決心し通行証を手に入れる。再びフィッシュと接触を図ったセオは、彼らがキーをヒューマン・プロジェクトの船、トゥモロー号に乗船させるという目的を聞かされる。ヒューマン・プロジェクトとは、新しい社会を作るために活動する国境のない組織だが、その存在を確認したものは誰もいなかった。検問所に向かう途中、セオたちは襲撃されジュリアンは死亡してしまう。フィッシュのアジトに逃げ込んだセオは、そこでキーが妊娠していることを知らされる。フィッシュのメンバーは、トゥモロー号へ向かうのを延期してここで出産すべきだと主張し、キーはそれを受け入れる。しかしその夜、セオはフィッシュの幹部たちが生まれてくる子供を政治的に利用するため、反対していたジュリアンを襲ったことを知る。アジトから逃げ出し、キーを連れて命がけの逃避行を続けるセオ。果たして2人はトゥモロー号に辿り着き、人類最後の子供を守ることができるのか…。
 いわゆるディストピアものだが、ハイテク満載の奇抜な道具や風景は、ほとんど登場しない。むしろ、現在とあまり変わらない描写が逆にリアルで、政府が無料で抗うつ剤や自殺薬を配るといった細かい設定が終末感を上手く現している。なぜ子供が生まれなくなったのか、といった詳しい説明は省かれていて、ただ戦いに明け暮れる絶望的な世界が描かれている。キュアロン監督の「全てがセオの目を通して見る世界が描かれている」という言葉通り、セオはキーと逃げながら移民や反政府組織など、それぞれの立場から世界を見る。セオの一人称的な視点で物語が進むので、まるでドキュメンタリーを見ているような臨場感を体験できるのだ。
 また、本作は驚異的な長回しでも話題になった。しかしこの長回し、実はワンカットではない。キュアロン監督は可能な限りワンカットでの撮影を行うことにこだわっていた。そこで製作スタッフはPlanelt(プレーンイット)というオリジナルツールを開発した。冒頭の爆破テロシーンをはじめ、出産シーンやクライマックスの戦闘シーンも異なったロケーションで撮影されたカットをPlaneltによってひとつに繋げたものである。最近は長回しの時間だけが取り沙汰されるような風潮もあるが、本作の場合、カットが途切れないことによって観る側の緊張感や臨場感が持続し続けるという絶大な効果を上げている。さすがヴェネチア国際映画祭でオゼッラ賞(技術貢献賞)を獲得しただけのことはある。制作費が120億円というのを知った時は驚いたが、こうした製作裏話を聞くと納得だ。しかし、本作の魅力は驚異的な技術だけではない。BGMに使われているキング・クリムゾンやローリング・ストーンズなど70年代ロックの使用も印象的だし、ピンク・フロイドの「アニマルズ」でジャケットになっている空に浮かぶ豚のバルーンが作中に出てきたりと、細部のディテールまで非常に計算されているので「ブレードランナー」などと同じ、好きな人はどんどんハマっていくタイプの作品でもある。
 この作品がリアルに迫ってくるのは描かれている世界が非常に現実的だからだ。環境破壊、紛争、テロ、核問題、人口問題など、このままだと本当にこの作品のような世界になるかもしれないという説得力がある。キュアロン監督は「エンド・クレジットが流れて終わる映画ではなく、エンド・クレジットが真の始まりであるような映画を作りたかった」と語っているが、原題「The Children of Men(人類の子供たち)」こそが重要なメッセージなのではないだろうか。どんなに現実が絶望的でも、ラストシーンのような一筋の希望を見つける事は不可能ではない。今の日本も、子どもの声が騒音認定されたりする社会だが、こんな世の中では本当に絶望的な未来しか待っていないのかもしれない。もっと大人が心に余裕を持って優しく生きられる社会になればいいのになぁ…と、本作を観ながら思ってしまった。多くの人に観て、そして考えて欲しい作品である。

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