北海道に生きる民族「アイヌ」。アイヌ民族の生き方に学ぶ。


北海道 アイヌ民族に学ぶ 北海道 アイヌ民族に学ぶ
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 「生きる」ということは何なのか?


 日本は昭和から駆け足で、息切れをしながら走り続けてきた。高度成長期を走り抜け、多くの公害を引き起こし、バブルを迎え、「使い捨て」商品が当たり前に流通し、今、私達は膨大なゴミ=無駄を排出しながら生きている。

 しかし同時に、大都会のベランダの隅で、野菜作りが流行していたりもする。このおかしな現象をみて私は、人間は結局、育て、食べ、眠る、といったことを喜びとする、ひとつの自然なのではないかという考えを強めるのである。


 多くの日本人にとって勘違いされがちであるが、日本は単一民族国家ではない。
 移住者の他にも、沖縄には琉球民族が、北海道にはアイヌ民族がおり、彼等はもともと、和人(アイヌ民族に対してその他の日本人を指す言葉)とは違った言語と文化を持っていたのである。
 アイヌ民族は、かつては北海道、本州東北地方北部、千島、樺太にかけての広い地域に住んでいたのだが、日露戦争や2度の世界大戦などを契機として大多数が北海道に暮らすようになり、戦後は日本全国に住むようになっている。
 1993年に行われた調査によれば、北海道に住むアイヌ民族は約23830人である。

 
 明治時代には、和人による「同化政策」により、信仰や狩猟、漁労、採集、交易など、アイヌ民族としての生活慣習は全て禁止され、「日本人」の慣習を強要されたのであるが、1997年4月にようやく「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」が国会で成立した。
 それは、私達和人がアイヌ民族の人々から奪ったものを取り戻すには、まだまだ至らないものではあるにせよ、彼等が守りたいと主張し続けた文化の重要性に、ようやく気づいたということだともいえるだろう。
 現在アイヌ民族は、一見その他の日本人と変わらない生活を送っている。しかし、彼等の中には、私達が忘れてしまった多くの「神」が、今なお生きているのである。


 「アイヌ」とは、アイヌ民族の言葉で「人間」という意味である。アイヌ民族は、「自分たちに役立つもの」あるいは「自分たちの力が及ばないもの」を神(カムイ)とみなし、日々の生活のなかで、祈り、さまざまな儀礼を行った。
 それらの神々には、火や水、風、雷といった自然神、クマ、キツネといった動物神、トリカブト、キノコといった植物神、舟、鍋といった物神などがある。さらに、家を守護する神、窓の神、炉縁の神、山の神、海の神、川の神、成長を見守る神、猟を見守る神など。それらの神々は、アイヌを見守り、食糧をもたらすのだが、時として厳しい試練を与えることもある。
 さらに、アイヌに病気や災いをもたらす悪神や魔神も存在する。アイヌ民族は、腹を満たしてくれる神に感謝し、寒さをしのげる家の神や、暖かい火の神に感謝しながら眠るのである。
 また、アイヌ民族独特の着物の刺繍柄は、もともとは病気や災いをもたらす悪神や魔神が入ってこないようにと、胸元や袖口に施されたものである。
 かつて、アイヌ民族の生活の基本は、狩猟や山菜採取などによる自給自足生活であった。


本州が江戸時代を迎え、アイヌ民族に対して本格的な支配を行い始める1700年代頃まで、アイヌ民族の人々は、自然から全てを得、そして返すという、人間も自然の一部であると感じられる生活をしていたのである。
 アイヌ民族の儀礼には、霊送り、先祖供養、家を新築した際の儀礼、サケやシシャモの初漁を前にしての儀礼など、年間を通して数多くある。特に頻繁に行われるのが霊送り(イヨマンテ)で、これは動物や植物、物に仮装して人間の世界に降りてきて、人間に食糧をはじめとして、生活に欠かすことのできないいろいろなものをもたらしてくれた神をもてなし、神の国に送り帰す儀礼である。
 霊送りの中でも最も重要なのが「熊の霊送り」である。冬の穴熊猟でとった子熊を1〜2年育てた後、盛大な宴をもってもてなし、再び神の国に送り帰すといった意味を持つ。仕留めた動物とは、単なる食料ではなく、「神(が仮装したもの)」と考えられているのである。それゆえ、全ての動物は、皮一枚無駄にすることなく丁寧に使われていた。


 現在、アイヌ民族の人々が熊を狩りに出掛ける事はないが、イヨマンテは大切に受け継がれている。それは、神(=動物)に対する敬いと感謝が、今なお生きているということではないだろうか。


 あなたが町のスーパーマーケットに並ぶ肉片を購入するとき、私達の命は、他の様々な生き物によって支えられているのだと、感謝することができているだろうか?

 多くの「死」が生活から消えたことは、私達の生活をスマートにしたけれども、「生きる」という、恐らく生物として最もまっとうな目標を希薄にしたように思えてならない。
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