多くの謎に包まれたままの「グスク」


沖縄 グスク 城 旅の紹介





 沖縄県は、日本の南西に位置し、気候も熱帯や亜熱帯性気候。年間降水量も多く、一年中温暖であることが特徴で、那覇市のある本島を中心として大小の島々によって構成されている。沖縄が最も盛り上がる季節「夏」はマリンレジャーを楽しむ「わナンバー(レンタカーを指す)」の観光客が急増する。日本を代表するレジャーの島だが、同時に沖縄には独特の伝統文化や風習があり、それらは大変興味深いものである。琉球時代の歴史を味わうことのできる世界遺産「首里城」をはじめとして、「うちなーぐち」と呼ばれる沖縄の方言、祖先の霊を供養するために旧盆に踊られる「エイサー」という伝統芸能。加えて、ドラマなどに描かれるような温かい人柄も沖縄の魅力のひとつといえるだろう。
 
沖縄の観光スポットのひとつに「グスク(城)」がある。

 沖縄は、14世紀から明治時代に廃藩置県が行われるまで琉球王国として存在し、東アジアや朝鮮・中国との交易を盛んにおこなっていた。琉球王国時代の歴史・文化の象徴的建造物である「首里城」は、中国文化からの強い影響を示すきらびやかな配色で、当時の栄華を感じることができる「城」のひとつである。
 しかし、きらびやかな「城」とはうってかわって、沖縄には「グスク(城)」と呼ばれる遺構が300余もあるといわれている。グスクには、大規模な城跡を遺す「今帰仁城跡」「座気味城跡」「勝連城跡」「中城城跡」の他、御嶽(うたき)と呼ばれる森のような礼拝の場(神を祭った聖域)など、さまざまな形態のものがある。これらは、「首里城」などとともに、2000年12月2日に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されている。

 私たちの身近にも、丸亀城や高松城、岡山城、大阪城などの城跡をみることができる。しかし、沖縄の「グスク(城)」は、私たちが想像しがちな日本の城と、充てた漢字は同じでも様相は全く異なるものである。また、その特徴的な読みが不思議な魅力をさらに助長させている。

 琉球王国時代を偲ばせるグスクの中で、最も残存物の多い遺構は、「中城城跡(なかぐすくじょうあと)」である。築城年は、14世紀後半から15世紀前半までと推定されている。14世紀後半から15世紀前半というと日本本土では、室町時代。応仁の乱(1467年)が起こり、時代は戦国時代へと向かう頃である。

中城城跡は、琉球王国時代の武将で、名築城家とも呼ばれた護佐丸(ごさまる)によって完成された。中城城跡は郭(くるわ)と呼ばれる石でできた囲いが連なる山城で、従来より先中城按司(さちなかぐすくあじ)が数世代に渡り築いてきた西の郭・南の郭・一の郭・二の郭に加えて、1440年に読谷(よみたん)の座喜味城から移ってきた護佐丸が、北の郭と三の郭を増築したことによって現在の形が完成したといわれている。

 中城城跡に一歩足を踏み入れるとまず目に止まるのが、キレイに積まれた石垣である。
この石垣こそがグスク最大の魅力である。石の積み方は単調なものではなく、素人の私にも分かるほど、確実に時代を経る毎に石積み技術の進歩がみられる。

 石積みの種類は、大まかに分けると野面(のずら)積み、布積み(豆腐積み)、あいかた積み(亀甲乱れ積み)の3種類があり、南の郭に見られる野面積みは、きわめて簡単な造りで、自然石を積み上げただけのものである。一の郭城壁に施された布積みは、石を方形に加工し、積み上げるという規則性のある積法である。護佐丸が中城城へ移って以降に築かれた北の郭には、石を亀の甲羅のような形に加工し、積み上げるという、強度のある積み方を採用している。

 沖縄は、グスク建築当時、日本本土よりも石積技術が発達していたといわれており、あの黒船で有名なペリーが1853年に沖縄で現地調査をおこなった際に、中城城跡の石垣を見て『要塞の資材は、石灰石であり、その石造建築は、賞賛すべきものであった。石は・・・非常に注意深く刻まれてつなぎ合わされているので、漆喰もセメントも何も用いていないが、その工事の耐久性を損なうようにも思わなかった』(日本遠征記)との記述を残している。

 また、城の門というと木造で、瓦で…というのを想像するのではないだろうか?グスクの門はエジプトのピラミッドを連想させるような石を積んで作ったアーチ型門が特徴的である。中城城跡の二の郭から一の郭へと進む城壁にも、アーチ形を描いた門がそびえ立ち、美しい布積み技術をみることができる。

 グスクの周囲には非常に緑が多く、小高い山の上に築かれることが多い。中城城跡も例外ではなく、標高160mという丘陵地に建てられている。自然の中にどっしりと構えているのだ。そして、グスクの東側にある崖を天然の要害として利用していたといわれている。また、ガンジャーガマと呼ばれる鍛冶屋跡や櫓門、兵馬の訓練をおこなっていたといわれる西の郭といった、敵への備えの他に、当時の井戸も残っており、琉球王国時代のロマンを感じることができる。


 しかし、これらのグスクの本質は未だ調査中であり、聖域であったのか、集落であったのか、それとも権威の象徴であったのかは現在においてもまだ謎に包まれたままなのである。


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