京都・仏像を巡る―人は、今も昔も迷いの中で生きている。


京都 仏像を巡る 旅の紹介






 なぜ、今若い女性の間で仏像がブームなのだろう?

 一昔前までは、仏像には老年と呼ばれる年齢に達した人々が、「徳」を得んが為に礼拝するものというイメージが強かった。あるいは、観光名所となった建物や美しい庭の観賞のついでに。熱心な仏教徒でもなく、仏に救って欲しいと思うほどの願いも無かったかつての幼い私にとって、それは退屈な「古典彫刻」でしかなかった。  

 しかし今になって、私は無性に仏像に会いたくなったのだ。同年代の女性達がこぞって仏像巡拝に赴く。
 私もそのブームに乗せられたということだろうか?  
 冬の京都の厳しさは有名である。しかし、電車でほてった体には、その澄んだ空気が心地良かった。


 仏像とは本来信仰の対象として存在する。一番最初に造られた仏像は当然、仏教の祖釈迦を模った「釈迦如来像」である。そして、「仏像」という言葉自体、元々はこの釈迦如来像だけを指す言葉であったのだが、なぜ今日覚えきれないほどの仏像が存在するのか。それらはもちろん経典を元にはしてあるのだが、結局人間の業の深さ故なのである。

 今のように科学や医学が発達していなかった昔、人々は災害を恐れた。飢饉や病気に見舞われたとき、人々は祈る事しか出来なかった。だけど、ただ漠然と釈迦に祈るだけでは不安であったのだ。飢饉のときは邪を払う仏に、病気のときは病気を治すことに長けた仏に、祈ろうとしたのである。

 その結果生まれた前者が「不動明王像」、後者は「薬師如来像」。神護寺、新薬師寺、法隆寺西円堂などの薬師如来像が特に古都の名仏として有名であろう。いずれも薬壺を持ち、慈悲の表情をたたえている。如来像は左右に脇侍(わきじ/きょうじ)が付き添う事が多く、薬師如来像にはさらに十二神将像が周囲に配置されている事が多い。
 医学や診療施設の発達してなかった昔、病を治したいと願い、名誉も財産もなげうって薬師如来像の前にひざまづく人々が多くいたのである。これでもか、と言わんばかりの荘厳さの影には、人々の強い祈りがあるのだ。


 その細工の美しさから特に人気の高い「十一面観音菩薩像」。
 奈良の法華寺にある十一面観音立像は、木目が美しく、頭髪には群青の、唇には淡紅彩色がいまだに残り、官能的ともいえる美しさである。しかしこれらや「千手観音菩薩像」は、人間の強欲ぶりを表した最たるものとも言える。十一の面(※経典の解釈により十二面のものもある)を付けるために、あるいは千の腕を伸ばす為に行われた、驚嘆するほどの技巧を見ることができるのだが、その姿はつまり、あれからもこれからも守って欲しい。あれもこれも手に入れたい。が故、という訳である。一体で全てに対応可能なスーパー仏なのである。

 日本中で仏像の建立が頻繁に行われていた今から300年の昔、円空という仏師がいた。円空は美濃国(現在の岐阜県)に生まれ、早くから小僧として仏門に入り、やがて寺院を出て窟ごもりや山岳修行するようになった。美濃国を拠点としながらも修行を重ねるため全国を行脚し、各地の寺院の住職や民衆たちと交流を深めた。

 そして民衆を苦しみから救うため、64年の生涯で12万体あまりの仏像を彫り続けたのである。その足跡は美濃・飛騨・近隣の愛知・滋賀・長野などにとどまらず、近畿・関東・東北・北海道にまで及ぶ。円空仏はその極度に簡略化された造型とダイナミックな「鉈ばつり」が特徴的で、未完成との印象を受けなくもない。中には端材を使用した「木っ端仏」と呼ばれるものも多い。

 一宿一飯のお礼にと、それらの仏像を残す事もあったと聞くが、その木っ端仏はしかし、300年経った今も人々によって守られ、ほぼ確実に存在する。大寺院の立派な仏像は当然ありがたいものであるが、円空の残した木っ端仏もまた、多くの人々を救ったのであろう。



 大人になり、それなりに人生の苦渋を味わった私が、仏教を意識しないまでも仏像拝観に赴くとは、なんと皮肉な符合であろうか。今、多くの仏像巡拝ツアーや観賞の手引き書が出ている。薄化粧を残す仏像の美しさを鑑賞する事も確かに仏像拝観の楽しみではあるが、それだけでは物足りないように感じる。各所を巡りながら、私は歴史や人々の信仰を感じずにいることは出来なかった。


 そして、美術作品というものは、製作者の祈り(意図)なくしては完成しないものだとも思う。同じ信仰を持つ必要があると言っているのではない。
 ただ、仏師は経典をどのように解釈し、表現したのか。
 なぜこのような笑みを湛えているのか、あるいは怒っているように見えるのか。
 我々にどのようなメッセージを伝えようとしたのか。
 我々の祖先は、自分と同じここに立って、何を考えていたのだろうか。

 想像する事によって、その美しさはより身近なものとして感動を呼ぶのだと思う。


 私は、歴史を考えるとき、いつもそれは螺旋のようだなあ、と思う。
 一見逆戻りしたかのように見えるが、それは過去と同じ位置ではなく、そこよりも少し上に上がっている。往きつ戻りつ、ただ振り子のように左右に振れているのではなく、ぐるぐると螺旋状に、僅かずつ上昇している。それはあたかも私達の体中に何億と存在する、人類の歴史、DNAのように。帰りの列車を待ちながら、いつか教科書で見た螺旋図がぼんやりと思い浮かんだ。

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