沖縄・与那国島―南の海に沈む、伝説の国。


沖縄 与那国島 伝説の国 ニライカナイ






 海に潜るのは10年振りだ。私がスキューバのライセンスを取得したのは1995年で、その頃はまだ与那国島の海底遺跡は一般的に知られていなかった。
 1986年にダイビングポイントを開拓中の新嵩 喜八郎(あらたけ きはちろう)氏が、与那国島の南端、新川鼻海底に奇妙な地形を発見した。その後5年ほど、新嵩氏と仲間達が独自で地形調査を重ね、学術的な調査が開始されたのは1994年のことである。


 真冬にも関わらず、与那国の海は驚くほどに温かい。気温24℃。水温もほぼ同じ。
「海底遺跡はこの真下です。」クルーザーのスタッフの掛け声に、私たちは次々と海に飛び込んだ。透明度は30メートル以上である。


 この幻想的な光景をなんと表現すればよいのだろう。
 スキューバ経験者なら分かると思うが、透明度30メートルの海というのは、地上と同じく遠くまでクリアに見渡すことができる。瀬戸内海とは全く違った、圧倒的にリアルな世界が広がっているのである。

 視界は一面薄いブルーに染まり、宮殿を思わせる巨大な岩塊が足元に鎮座している。
 メインテラスへ続く階段を、色とりどりの魚達が横切っていく。
 重力を感じる事は無く、水中にフワフワと、まさに空を飛んでいるような不思議な気分なのである。


 与那国島は沖縄県西部、八重山諸島最西南端の島。役場のある島の中心は東経123度で、この島は日本の最西端に位置する。東西12キロ、南北4キロ、面積約29平方キロメートルの小さな島だ。遺跡は、新川鼻の南100mの沖合い、水深25mほどにあり一部分は海面上に見ることができる。


 ここには、神が住むとされる東の彼方にある海底の国「ニライカナイ」の伝説が残っている。新嵩喜八郎氏が遺跡を発見した当時、それはニライカナイの神殿ではないかと噂された。
 ニライカナイは、ニルヤ、ネリヤ、ニロー、ネヤともよばれることもあり、文献によっては儀来・河内と表記される。名称については諸説があるが、民俗学者柳田國男は「遠く遥かな所」の意であるとしている。ニライカナイには、ひとつに『神の世界・あの世』としての機能がある。神や祖先は時を定めてニライカナイから訪れると考えられ、沖縄では、海の彼方を遥拝するための御嶽(ウタキ)が岬や海辺に設けられている。また、稲をはじめとして、五穀はニライカナイからもたらされる。さらには、子供までもニライカナイからもたらされるとする地方もある。
 反対に害をなす鼠・害虫が追いやられるのもまた、ニライカナイである。これは害虫もニライカナイの出身であり、それをニライカナイへ送り返すと言う意味が含まれている。伝承を見て行くと、つまりニライカナイは全ての根源であり、「ニライカナイ=遠く遥かな場所にある全ての根源の地」と考えられていたと言える。


 実はこの「海底遺跡」は、人工物ではなく「海底地形」とする説もあり、現時点ではどちらとも決定されていない。もともとは地上にあったものが、地球の温暖化により海水面が上昇し水没。
 陸上にあった年代は1万1千500年〜1万2千年前のヤンガードリアス期(氷河期が終わり始めた頃。海水面の高さは現在より70〜80m低かったといわれる)か、それ以前ではないかと考えられている。しかし1万年前といえば新石器時代である。最古の文明とされるシュメール文明より、5千年以上前である上、琉球周辺に巨石を扱う文明も確認されていないなどの理由から、人工物と限定することは難しいのだそうだ。

 しかし、周囲800m、高さ30mのこの巨大な岩塊には、階段やテラスなど、実に人工的な完成度がある。北西側にある2枚岩と呼ばれている巨大岩は、高さ約7m、幅4m、厚さ1mの長方形の巨岩が2枚、海面に向かって垂直に立っている。巨岩は長方形に整えられ、岩と岩の間は等間隔にあいている。もともとはひとつだった巨岩を、慎重に断ち割ったとしか思えない。その南側にはテニスコート大の平面(メインテラス)が広がり、角には螺旋状の階段がある。最上部(上部テラス)には、中央に掘り込まれた扇形の大きな穴(三角プール)があり、その北側の隅には柱が建っていたのではないかと考えられている穴が2つあいている。

 自然化学の分野に疎い私などは、正直、これを自然が造ったと考える方が難しいのではないかと思うのだが。

 遺跡を目の当たりにして、科学技術が飛躍的に進歩し、『私達は全てを知っているし、全てが可能である』のだと傲りそうな気持ちは見事に打ち砕かれた。

 この狭い日本の中でさえ、まだ解明されない秘密が眠っているのだ。

 私達の過去には未だ明らかになっていない歴史があり、未来もまた多くの可能性を秘めている。
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